東海道復路歩き1 2024.5.3. 京都~草津1  | greenjadeのブログ

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生け花を中心に、discover Japan の日々。

五街道踏破を昨年達成しまして

さてこのあとどうしよう・・・

 

踏破はしたのですが

ずっと気になっていたこと。

それは片道しか歩いてないのです。

 

行ったからには帰ってこなきゃねウインク

 

というわけで

東海道を

京都から江戸へ向けて

歩くことにしました!

 

5月の連休に

第一回目を歩いてきました。

 

今年から

連休中の新幹線のぞみは

全席指定。

昨年は座れず名古屋まで立ちっぱなしで

ひどい目にあったなーえーん

ことしは座ってゆったりです。

朝ごはんも

筍ご飯のお弁当奮発しちゃった照れ

 

京都駅から電車で

スタート地点の

三条大橋へ。

電車で行くと

橋の東側へ出てしまうあせる

 

東に出たついでに・・・

池田屋事変殉難志士

墓所跡の碑

新選組に殺された志士たちは

ここに埋葬されましたが

後に改葬されています。

 

高山彦九郎正之の像

御所を礼拝している姿。

勤王の志篤く

維新の先駆者といわれた人。

 

三条大橋を西へ渡って

弥次さん喜多さんにご挨拶。

やはりここから始めないとねウインク

それではあらためて出発ですあしあと

 

三条大橋の擬宝珠に

池田屋事件のときの

刀傷がついているものがあるのですが

しみじみ眺めてみたら

「天正十八年」と彫ってあるびっくり

天正年間といったら

思い出すのはなんといっても

本能寺の変ではないでしょうか。

ちょっと調べてみたら

天正年間って激動の20年で

元年は小谷城の戦い

10年が本能寺の変

16年に室町幕府滅亡

最後の20年は小田原征伐

 

秀吉の時代のものが

街中にさりげなく残っているびっくり

さすが京都・・・

 

大将軍神社

桓武天皇が

平安京を造営した際に

大内裏を守るため

京の四方四隅に祀られた神社のうちの

ひとつ。

 

白川橋の道標

京都に現存する

最古の道標だそうですひらめき電球

(1678年)

「是よりひだり

ち於んゐん ぎおん きよ水みち」

 

街道から少しはずれて

白川沿いに下ったところへ寄り道。

なんと

明智光秀の首を

ここに埋葬したという

お堂があるのですびっくり

 

街道に戻って

今度は

坂本龍馬・お龍の

結婚式場跡の碑

歴史のメッカすぎて

クラクラしますうずまき

ここは金蔵寺跡で

1864年にここで内祝言をあげたのだそう。

 

粟田口

奈良時代以前から開かれた土地で

粟田氏が本拠としていたので

粟田郷と呼ばれていました。

交通の要所で

京七口のうちのひとつ。

 

平安末期から

刀鍛冶が多く住んでいたことでも有名。

 

鬼平犯科帳の主人公

長谷川平蔵の刀が

粟田口国綱なんですラブラブ

鬼平ファンとしては

「粟田口」と聞くとドキドキしてしまうラブ

 

土地神様

粟田神社におまいり。

いい景色!

お天気最高!

平安神宮の

朱塗りの鳥居が見えます。

 

こんな小さな神社もありますよウインク

なんと

民家の隙間へ入り込んでいく・・・

合槌稲荷神社

刀匠・三条小鍛冶宗近が信仰していた

お稲荷さん。

名刀「小狐丸」は

童に化けた狐が

合槌を打って鍛えたもの、

という言い伝えがあります。

 

蹴上の浄水場へやってきました。

この斜面のモコモコ、

ツツジです!

開花時期には

一般開放しているようです。

花の時期は見事でしょうね。

蹴上まで来ると

いよいよ京都を離れていく、

という感じがします。

 

逆に

京都に向かって歩いたときは

蹴上まで来ると

もうすぐゴール!

あと少し!

と気が急いて

史跡も何も見ないで

大急ぎで歩いてしまっていたことに

今更気づきましたてへぺろ

 

粟田口刑場跡を過ぎて

日ノ岡峠へ。

京都へ向かう時は

ダラダラと上る坂道が

しんどかったのですが

今回は下り道です。

 

続く・・・