中山道歩き29 2023.11.3.草津~京都その2 | greenjadeのブログ

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生け花を中心に、discover Japan の日々。

琵琶湖周辺は

戦国時代~江戸時代初期の

史跡がゴロゴロ、

歴史好きにはたまりませんラブ

 

住宅街の中に

膳所城(ぜぜじょう)総門跡、

なんて碑が

さりげなくたってたりしますひらめき電球

膳所城とは・・・

関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が

東海道のおさえとして

大津城を廃し

つくらせた城。

 

「瀬田の唐橋を制するものは

天下を制する」との昔からの言い伝えにより

瀬田の唐橋に近いこの地を

選んだといいます。

 

明治期になり

城は解体されてしまいましたが、

この近辺の神社に

膳所城の門を移築しているところが多くて

面白い。

 

若宮八幡神社

膳所城の門を移築してあります。

篠津神社

こちらも膳所城の門。

軍事施設であったお城の門を

祈りの場である神社で再利用、

おおらかで面白い爆  笑

おかげで

膳所城は廃城になりましたが

昔をしのぶことができます。

 

途中のお宅に

こんなものが!

うぉ~欲しい!欲しい!

もらっていくか

しばらく悩みましたが

この先の道のりがまだ長いので

泣く泣く断念えーん

 

こちらはお寺さんですが

この門がまた

膳所城の長屋門を使用してます。

 

膳所神社

ここも

膳所城の門の再利用!

 

和田神社

ここに寄るのを楽しみにしてました!

樹齢600年といわれる

大きなイチョウの木があり

遠くからでもよく見えます。

琵琶湖上からでも

目印になっていたと考えられるとか。

関ケ原で敗北し

捕らえられて護送中の

石田三成が

この木につながれて休息した、

と伝えられているのです。

 

樹齢600年ということは

関ケ原の戦いの頃に

すでに樹齢200年くらい。

歴史をずっと見てきた木だと思うと

感慨もひとしおです。

 

石坐(いわい)神社

天智天皇が

琵琶湖の神をおまつりしたのが

始まりと言われる神社で

竜神がご祭神のため

雨乞いの霊験あらたかと言われます。

 

義仲寺(ぎちゅうじ)

ここも寄るのを

楽しみにしていました照れ

木曾義仲の墓所で

巴御前が供養したので

巴寺ともいわれます。

 

義仲の墓

松尾芭蕉の墓

義仲を敬愛した芭蕉は

遺言によりここに葬られました。

「木曾殿と背中合わせの寒さかな」

という弟子の句が有名ですが

まさに!

 

巴御前の供養塚

 

芭蕉ゆかりの地らしく

境内には句碑がたくさんあり、

また翁堂の天井画が

伊藤若冲のものだったり(複製)

見どころ満載。

お庭も美しく

心なごむ場所でした。

 

大津宿に入っていきます。

商家が軒を連ねて

賑わっていた往時をしのぶことができます。

 

大津事件の碑

ロシア皇太子を

警備の警官が斬りつけた

「大津事件」の現場。

 

すてきな提灯屋さん

 

京阪京津線が道路を通っています。

本陣跡

この周辺は

何も残っていません。

このあたりから

逢坂山に向けて

坂道になってきます。

 

蝉丸神社 下社

坂道・・・

地味にキツイあせる

蝉丸神社 上社

逢坂山関跡の碑

 

蝉丸神社 分社

蝉丸をおまつりする神社が

3つもあるって・・・

 

「これやこの 行くも帰るも別れては

知るも知らぬも 逢坂の関」

 

平安時代の歌人・蝉丸は

この逢坂の関の歌が

百人一首に入っているので有名ですが

謎の多い人物で

物乞いだったという説の一方

皇族だったという説もあり。

 

琵琶の名手で

逢坂山に庵を結んでいたといいます。

そこから

音曲諸芸道の神様として

信仰されるようになったとか。

 

残念ながら

蝉丸信仰もすたれて

神社もかなり荒廃してしまっていましたが

最近また復興しようという

運動があるそうです。

知るも知らぬも「逢う」場所に

なりますように。

 

鰻料理の老舗

「かねよ」さんで

お昼をいただきました。

ここ、前回行かれず

念願のリベンジ照れ

鰻はもちろんおいしかったですが

卵焼きのド迫力!

これまた絶品でした。

 

お腹が重いあせる

 

さあ歩いて消化するぞ!

 

続く・・・