中山道歩き28 2023.10.12.武佐~草津その1 | greenjadeのブログ

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生け花を中心に、discover Japan の日々。

10月の中山道歩き3日目。

 

2日目で足にマメができてしまい

3日目はあきらめるか

それとも頑張ってみるか

 

2日目の夜は

あきらめるほうにかなり傾いていました。

 

ですが

ここでストップすると

次回は武佐スタート。

電車の時間を調べてみたら

不便!めんどくさい!

 

それより

草津スタートのほうが

はるかに早いんです。

 

足痛いうんぬんより

次回の電車の便を優先して

3日目も歩くぞ!

(これがいけないんですよねあせる

無理はやめましょうてへぺろ

 

武佐駅

電車来るのか!?

って感じの田舎の駅(ゴメンナサイ)

 

伊庭貞剛の邸宅跡

おおきな楠!

 

住蓮坊 首洗いの池

法然の弟子である住蓮坊は

後鳥羽上皇の怒りにふれ

処刑されてしまい

この池で首を洗ったと伝わるそうです。

少し離れたところに

お墓もあるようです。

 

八幡宮

八の字が鳩ですね!

鎌倉の鶴岡八幡宮と一緒ウインク

 

源義家が

応神天皇の霊を勧請し

武運長久を祈願して造営したお社。

 

かやぶき屋根の旧家

美しいです照れ

維持するのも大変なんだろうな・・・

 

日野川

ここは渡し場がありました。

 

柵に一瞬ギョッとなりましたが

出入りしていいのねニヤリ

 

ところで

武佐宿から

次の守山宿まで

16キロ強。

かなり間が長いです。

 

江戸時代に

この間の宿として

にぎわったのが

鏡の宿。

 

中世には東海道の宿駅でした。

 

こんなふうに

旅籠跡の看板が

たくさんありました。

 

なんとここは

源義経

元服の地。

まだ牛若丸だった義経が

奥州平泉へ向かう途中

平家が稚児姿の牛若丸を追っていると知り

姿を変える意味もあり

この地で前髪を落とし

元服したのだそうです。

 

この鏡神社で

源氏再興を祈願しました。

入り口には

烏帽子掛けの松もあります。

元服池

 

鏡神社のちょうど向かい側に

道の駅があります!

現代の間の宿ラブ

 

地元の野菜が

とてもおいしそうだったのですが

これから歩かなくてはいけないので

お買い物断念えーん

ちょっとだけおみやげ買って出発。

 

しばらく行くと

今度は平家終焉の地があるのですびっくり

壇ノ浦の合戦で

義経に捕らえられた

平宗盛、清宗親子はここで斬首され

胴がここに埋葬されたといいます。

 

左に見えるのが

蛙不鳴池といい

処刑された宗盛、清宗を

蛙が哀れに思い

鳴かなくなってしまった、

という伝説のある池。

一面蓮に覆われているのが

なんとも意味深。

 

この地は

歴史の皮肉を感じます・・・

元服の時は

平氏に追われる立場だった義経、

成長して

逆に平氏を追い詰める立場になり

平氏がついに滅んだ地が

元服の地のこんなそばにあるなんて。

 

そしてさらに言えば

このあとの義経の運命を考えると

なんとも言えない気持ちになります。

 

まさに平家物語

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

 

池の写真でお分かりかと思いますが

このあと延々と国道歩き、

しんどいあせる

 

この写真だと

なんじゃこりゃ?

ですが、

古墳です。

古墳が3つあり

国史跡となっています。

弥生時代の銅鐸が発見されています。

 

また茅葺屋根に遭遇。

暁酒造の素敵な建物でした。

軒下の大きな釜も気になる!

 

野洲(やす)

「のず」かと思ってたてへぺろ

鳥居本宿で分岐した

朝鮮人街道は

この野洲で中山道に再合流するのです。

 

背比べ地蔵

かわいらしい照れ

お地蔵様2体かと思いきや

左側は阿弥陀如来らしいです。

子供が右のお地蔵様と

同じくらいの背になれば一人前、

と言われたそうです。

けっこう小さいと思うのですが

一人前、なんですね。

乳幼児の死亡率が高かった昔、

ここまで育てばもう大丈夫、

という親の切なる願いを感じます。

 

守山宿へ急げ!

 

続く・・・