中山道歩き8 2018.6.30 坂本~沓掛 その2 | greenjadeのブログ

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生け花を中心に、discover Japan の日々。

この看板、

「きゅうなかせんどう」って見えるでしょう?

だけど本当は

「じごくいりぐち」って読むんですよぉドクロ

いきなりものすごい山道へ突入。

こわいよーえーん

これをひとりぼっちで歩くのは

さすがの私もビビりましたガーン

 

堂峰番所跡の

案内板

石垣がちょこっと残っています。

山抜けを取り締まる

番所があった場所。

 

ビビりつつも、

このあたりではまだ

お花をながめたり

美しい苔に

心和んだりする

余裕がありましたが・・・

ひたすら続く急坂に

だんだん泣けてきたえーん

倒木も多い!

頭上注意とか言われてもがーん

そして道のすぐ脇は

深い深い崖になっていて

落ちたら一大事ガーン

これって

街道歩きと言うか

登山でしょ!

・・・とゼーゼーハーハー

心の中でツッコミを入れていましたが

こういう石碑群があらわれると、

ああ旧街道なんだな、

と思うのです。

 

柱状節理

火成岩が冷えるときに

柱状に割れたもの。

このあたりは石ゴロゴロで

歩きにくいことこの上なしえーん

 

「刎石の覗き」

本当に

のぞき窓みたいなポイントなのですが、

ズームイン!

先ほど通過してきた

坂本宿の街並みが

見えるのです。

 

だいぶ登ったなーなんて思いましたが

ここはまだまだ序の口でした・・・がーん

 

旅行者の安全を守る

馬頭観音碑。

 

風穴がありました。

湿った冷たい空気が

吹き出しています。

 

もうこんな道ばっかり

ずっとずっとずっと登り坂

写真を撮る余裕もなくなり

撮ってもボケボケ(笑)

 

「弘法の井戸」

弘法大師の伝説って

本当に各地にたくさんありますが、

こんなとこにもあった!

この先の茶屋の水源のために

弘法大師が掘り当てた井戸だそうです。

 

そしてここがその

刎石茶屋跡

奥の方に石垣が見えます。

ここに

4軒も茶屋があったのだとか・・・

あー私も一服したいえーん

 

そして

最初の事件発生叫び

足元にちょっと違和感を覚えて

ズボンのすそをめくってみたら

 

ギャー

 

なんとヤマビルにかまれてた!

しかも

靴や靴下にたくさんひっついてる!

 

あわててお食事中(吸血中)のやつを

ひっぺがしてつぶし、

靴を脱いで

他にまだいないか点検。

 

この時全部落としたと思ったのですが、

しばらくしてまたチェックしたら

靴にしがみついてるヤツが2匹もいたりガーン

 

「私のワラジちゃんに

なんてことするのよ!」

速攻つぶしましたがーん

 

本当に気持ち悪くて

恐怖でした号泣

 

このあと何度も何度も

足まわりをチェックする羽目に。

 

道が湿っていたので

嫌な予感がしたのですが、

これは準備不足でしたがーん

 

これまでの街道歩きで、

峠はあれこれ越えていますが

ヒルにあったことがなく、

すっかり油断してました。

半泣きで歩いていたら

2番目の事件発生。

反対側から歩いてきた男性に

「こんにちは」

と挨拶したら、

その方が急に立ち止まり、

「ええと、熊野神社のほうへ行くんですか?」

 

「はい、中山道歩いてまして」

 

「僕、めがね橋のほうから来たんですが、」

(別の遊歩道があり、

途中で中山道に合流する)

 

「中山道に合流するちょっと手前で

クマが横切っていったんですよ!」

 

ひえーっ

 

「そっそれって、

中山道じゃなくて、

別の道ですかっ?」

 

「まあそうなんですけど、

同じエリアだから

中山道にいないとは限らないですよ。

気を付けてくださいね。」

 

ギャー

 

その方にはありがたくお礼を言って

お別れしましたが

もうやだ怖い怖い怖いえーん

 

誰かいれば心強いけど、

周囲に誰もいない・・・

 

ここからことさらに

背中のリュックをゆすって

クマよけ鈴を大きく鳴らして

歩いていきました。

 

怖いのはクマだけじゃない。

こんな恐ろしい道が

人ひとりやっと通れるくらいの細い道で

両側は断崖絶壁。

(写真だと分かりにくいですが。)

これは戦国時代に

敵の進撃を阻止するために

道の両側を削って細くした跡なんだそうです。

 

いや、頭いいけど

やめてよぉぉぉーえーん

 

南向馬頭観音

小さな看板には

「落石注意」

北向馬頭観音

しかし信じられないのは、

ここってマラソンコースなんです・・・

安政の遠足(とおあし)

その昔、

安中藩主の板倉勝明公は

藩士の心身鍛錬を目的として、

安中城から碓氷峠の熊野神社まで

競争させ、着順を記録した。

これが日本の「マラソン」の

始まりだそうです。

 

これにちなんで現代でも、

毎年5月に同じように

安中から熊野神社まで

約29キロ、

高低差なんと1050メートル!

のコースを走る大会があるんです。

 

そのためのコース用の

看板が設置されているのですが、

歩くだけでもういっぱいいっぱいになってる私は

「ここを走るとか理解できん!むかっ

 

ぐだぐだになりつつ

歩いていたら

うぇ~ここらへんだ!

めがね橋からの道の

合流地点。

 

先ほどすれ違った男性が

クマをみかけた、

と言った場所の近くです。

 

クマ鈴を盛大に鳴らして

「人間通りますよー」

と急いで通過。

 

でもクマだって移動するんだし、

この周辺だけにいるとは限らない。

 

怖いよー

お願い、早く山道終わって!えーん

 

・・・と思いましたが、

実はこの時点で

まだ道のりの半分も

終わっていなかったのでした・・・

 

そしてまだまだ

事件は続く!

 

続く