第四回
第一回
前回
第一回
前回
夕暮れが近づいた頃に、汽車はプフォルツハイムへ到着した。車窓の外は山々が連なり、シュバルツヴァルトの入り口に着いたのだ。
ベンチの上で身体を丸めて寝ていたノワールは、目を覚まし、前肢を伸ばし、尻尾を持ち上げるようにして伸びをし、欠伸まじりに、喉が渇いたから牛乳が欲しいという。ヨハネスは、牛乳から故郷の白ビールを思い出し、喉の渇きを覚え水筒を持って、客車の外へ出た。
列車沿いに漂う他の客車の乗客達の間を塗って、駅前まで歩き、店が軒を並べている中に、チーズを売る店があった。牛乳をひと瓶分とチーズを買った。また、酒屋を探し、ビールを水筒に詰めてもらった。牧師姿でビールを買うというのもなんだが。
客車に戻ると、乗客達はすでに乗り込んでいて、線路近くには人影がなかった。扉を開けると、黒い衣装の年配の婦人がベンチに座っていた。黒いベールで顔を覆い、つばのある黒い帽子、黒い上着に黒いスカート、黒い靴。胸にはふたつのエメラルド。またたきするふたつのエメラルド。と、よく見るとノワールの双眸だった。
最初、客車を間違えたと思ったら、ヨハネスの客車に見知らぬ婦人がいて、ノワールを抱きかかえていたわけだ。
「かわいい猫ちゃんね」婦人はハスキーボイスの猫なで声を出し、ノワールの頭を撫でている。
「私の兄の本には、動物がよくでてくるのよ」何かを懐かしむような表情を浮かべ、婦人は一瞬、惚けたような感じだった。
「私の兄の本には、動物がよくでてくるのよ」何かを懐かしむような表情を浮かべ、婦人は一瞬、惚けたような感じだった。
「失礼、バウムクーヘン牧師。おじゃましてる理由は、牧師さんの荷物をちょっと調べなくちゃならないからなの」ハスキーボイスが終わると、いつの間にか、ヨハネスの横にナイフを持った、目深に帽子をかぶり、左手に包帯を巻いた男がいた。要するに、列車強盗なわけか。紙袋を抱えていたので、両手を上げることはできなかった。ナイフ男の顔を見ると、二本の前歯が出ている。男はヨハネスの上着やズボンのポケットを、包帯をしたほうの手でまさぐり、ひととおりまさぐり終わると、婦人に向かって、首を振って見せた。
「さすがね。オーヴァーベック教授は慎重だということね。今日はこれで終わり。おじゃまさま、牧師さん。またお会いすることになりそうよ」婦人はノワールを腕からベンチへ下し、客車から降りて来た。黒いベールの向こうで微笑むと、列車の先頭方向へ向かって歩き出した。
前歯の出た男はナイフをしまった。すると、男は大きな前歯をした口を開いたまま、ヨハネスのほうをおびえた表情で見ていた。いつの間にか、ノワールがヨハネスの肩の上に乗っていたのだ。男はノワールのほうをおびえながら見ていた。
「ねずみ(die Ratte)!」婦人のハスキーボイスが聞こえた。男は我に帰り、婦人の後を追って駆けていった。二人の後ろ姿が列車の前方へ向かい、だんだんと小さくなると、客車のほうへ吸い込まれていった。前方の一等車のあたりか、とヨハネスは確認した後、出発を告げる汽笛が鳴ったので、客車に乗り込んだ。
三等客車の中は、婦人のつけていた香水の残り香があった。窓を開き、ベンチの上に弁当箱にしていたブリキ製の容れ物を鞄から出して、牛乳を注いだ。ノワールは一声鳴くと、ぴちゃぴちゃと舐め始めた。
ヨハネスも喉の渇きを思い出し、また、今の出来事が、渇きを加増していたので、あわてて、水筒のビールを喉をならしながら飲んだ。口を拭うと、窓から入ってくる風が少しひんやりとしている。風の冷たさとは別に、背筋に悪寒が走り、鳥肌がたってきて、身震いした。
「なあんだ、今頃震えてるのかい」ノワールが牛乳の入った箱から顔を上げて、ヨハネスの顔を見上げていた。口髭の廻りに白い滴をつけていた。
「いや、まあその、ぼくはね、感じるのがいつも遅い性質でね」
「仕方ないさ。俺も、あの黒ずくめの女に撫でられたときは、ゾッとしていたよ。動物的または猫的本能ってやつさ。あの女は何か暗黒の住人かもね。怖いやつだと思うよ」
「それにしても何だったのだろう。ぼくの荷物やポケットを探ってたらしいけれど」
「オーヴァーベック教授って?」
「ぼくの大学のときの先生だ。バーゼルへゆくのも先生から手紙が来たからなんだ」
「ところで、あの女は誰なんだい?」
ヨハネスは肩を竦めて首を振った。ノワールは再び、牛乳に集中し始めた。
確かに、あの婦人は一体誰なんだろう。兄の本って言っていたけれど。兄って誰だ。何を探していたのか。オーヴァーベック先生の用事と何かつながりがあるようだが。クエスチョンマークがヨハネスの頭の中に増殖していった。窓の外にはシュバルツヴァルトの森が流れ去っていった。バーゼルまであと、三時間ほどだろう。
黒いベール、黒い手袋、そしてノワールの黒い毛皮のイマージュが、ヨハネスの脳裏の中でぐるぐる廻りだしていた。ビールを更に煽り、それらのイマージュが、車窓から見える森の黒のイマージュと重なり、だんだんと眠くなっていった。
(次回へ)