最近、マンデルブロのエッセイを読んだ。
フラクタル幾何学の創始者、マンデルブロは、つい最近亡くなったらしい。
Wikiペディアを見ると、死亡した年も記述されている。右括弧の前に、
2010年10月14日と記載がある。Wikiに記載されているのだから、間違いないのだろう(?)
マサチューセッツ洲ケンブリッジで死亡したとある。
生まれたのはポーランドのワルシャワ。
この2つの地点、誕生と死没を結ぶ曲線が描く、境界はマンデルブロの移動した曲線であり、
その曲線を正確に辿ろうとすれば、するほど、間宮林蔵のように、わらじがすり切れ、
無限に近い距離になってしまう。
それは誰の人生もそうだろう。
誰でも、どこかで生まれた。誕生の場所がある。生誕の地は不動点であり、
人はだれでも生誕地と一対一で対応する。それだけは変わらない。
そして、今生きていれば、現在時点まで紆余曲折を辿って来たが、どのひとりの
記憶の地層を掘り起こしてみても、同じ時間をかけて辿ることなど不可能なのだ。
同じ時間どころか、生誕から五歳ほどの地点であっても、流れた時間は無限に近づいて
ゆく。そして、二度ともどらない月日、歳月というものだ。
最近私は、アイドル達と握手する。少女達と握手し、励ます。
彼女達は私に励まされているのだろうか?
彼女達は、映像の中で歌い、踊る。映像の中で演技し、台詞は聞こえたり、曲の流れの
なかで台詞が消えていたりする。映像の中、撮影現場でどんな声で、何を話しているのか
何も分からない。
乃木坂46、AKB48、SKE48、NMB48の握手会へ出かけ、少女達と握手しているわたくしという現象。
アイドル達との交流として、わたくしという現象は、時間と空間の中で・・・・・・・
わたくしという現象は、また、西新宿の街角にある焼き鳥屋のカウンターに座り、グラスを傾けている。
カウンターの向こう側には女性がいる。焼き鳥を焼く事ができる女性達だ。
焼き鳥を焼く事が出来る女性達の焼く焼き鳥を食べながら、カウンターに座り、時空の流れに身を任せている。
カウンターはL字型になっていて、お客達が座りグラスを傾ける。
グラスが傾く回数と時間の流れは対応している。
語りあい、笑声が流れるひとときを、まったりと過ごす。
仕事からの解放の時間に浸り、春の小川のようなぽかぽかしたのどかな時間と温度に浸る。
翌朝からの仕事の時間と空間は、氷のような冷気か、灼熱のような絶対暑熱だ。
仕事で疲れた心を、人は電車や車で運び、何処へとゆくのだろう。
車窓に流れる街の灯りや各家々やアパートやマンションの灯りを、眼球に映しながら・・・・・
この小説(?)のタイトルは「フラクタルな映画館で」となっている。
どんな小説になるのかは、まだ分からない。
フラクタル幾何学の創始者、マンデルブロは、つい最近亡くなったらしい。
Wikiペディアを見ると、死亡した年も記述されている。右括弧の前に、
2010年10月14日と記載がある。Wikiに記載されているのだから、間違いないのだろう(?)
マサチューセッツ洲ケンブリッジで死亡したとある。
生まれたのはポーランドのワルシャワ。
この2つの地点、誕生と死没を結ぶ曲線が描く、境界はマンデルブロの移動した曲線であり、
その曲線を正確に辿ろうとすれば、するほど、間宮林蔵のように、わらじがすり切れ、
無限に近い距離になってしまう。
それは誰の人生もそうだろう。
誰でも、どこかで生まれた。誕生の場所がある。生誕の地は不動点であり、
人はだれでも生誕地と一対一で対応する。それだけは変わらない。
そして、今生きていれば、現在時点まで紆余曲折を辿って来たが、どのひとりの
記憶の地層を掘り起こしてみても、同じ時間をかけて辿ることなど不可能なのだ。
同じ時間どころか、生誕から五歳ほどの地点であっても、流れた時間は無限に近づいて
ゆく。そして、二度ともどらない月日、歳月というものだ。
最近私は、アイドル達と握手する。少女達と握手し、励ます。
彼女達は私に励まされているのだろうか?
彼女達は、映像の中で歌い、踊る。映像の中で演技し、台詞は聞こえたり、曲の流れの
なかで台詞が消えていたりする。映像の中、撮影現場でどんな声で、何を話しているのか
何も分からない。
乃木坂46、AKB48、SKE48、NMB48の握手会へ出かけ、少女達と握手しているわたくしという現象。
アイドル達との交流として、わたくしという現象は、時間と空間の中で・・・・・・・
わたくしという現象は、また、西新宿の街角にある焼き鳥屋のカウンターに座り、グラスを傾けている。
カウンターの向こう側には女性がいる。焼き鳥を焼く事ができる女性達だ。
焼き鳥を焼く事が出来る女性達の焼く焼き鳥を食べながら、カウンターに座り、時空の流れに身を任せている。
カウンターはL字型になっていて、お客達が座りグラスを傾ける。
グラスが傾く回数と時間の流れは対応している。
語りあい、笑声が流れるひとときを、まったりと過ごす。
仕事からの解放の時間に浸り、春の小川のようなぽかぽかしたのどかな時間と温度に浸る。
翌朝からの仕事の時間と空間は、氷のような冷気か、灼熱のような絶対暑熱だ。
仕事で疲れた心を、人は電車や車で運び、何処へとゆくのだろう。
車窓に流れる街の灯りや各家々やアパートやマンションの灯りを、眼球に映しながら・・・・・
この小説(?)のタイトルは「フラクタルな映画館で」となっている。
どんな小説になるのかは、まだ分からない。