フラクタルな映画館で (2)

そこは、映画館と呼べるほどの建物ではなかった。
図書館と公民館という名の、木造の二階建ての建物だった。

夏になると、近所に住む、ひどく痩せた中年の男が、
入り口近くに設置されている水道の蛇口から水を飲んだり、
顔を洗ったりして、腰の手ぬぐいで口や首筋をぬぐっていた。

男は建物の中に並ぶ書棚や受付のあたりをゆっくりと眺めて
から麦わら帽子をかぶりなおして、外へ出て行った。

通学途中で、たまにすれ違う中年の男の鎌を持っている姿を
知っているが、その図書館で見かけると、ひどく違和感を感じた。
奇妙な印象な、今でも私の記憶の層に残っている。

独身者なのか、あるいは図書館の受付にいた女性に好意でも
持っていたのだろうか。

今では謎だが、私には、あの公民館を思い出すたび、
あのひどく痩せた男と水道の蛇口を思い出す。

そして、水道の水で顔を洗う姿が、アンソニー・クインへと重なってゆく。

あの映画館というより、月に一度、映画を上映する仮設の映画館が、
少年の頃の私の楽しみだったろうか。

黒の厚手のカーテンが引かれると、映写機の回転音が流れ、ざわめきが消え、
咳の音だけがかすかに聞こえる。

モノクロームの映像が、スクリーンへ写しだされる。

イタリア語のタイトル、アンソニー・クインがオートバイで移動してゆく。
怪力を見せ物にして、戯けた女性が笛を吹く。
鎖を切る見せ物を、クインが演じている。

ある事件をきっかにして、精神状態がおかしくなった同伴していた女性を
置き去りにしてしまう。

数年後に、置き去りにした場所で、置き去りにしたかつての伴侶の歌を
聞きつけ、洗濯物を干す主婦にたずねる。
主婦は、置き去られた女性の世話をしていたが、病死したとクインへ
話す。歌は、かつての伴侶が口ずさんでいた歌だったのだ。

砂浜でひとり泣くクインの姿が、ラストシーンとなる。
打ち寄せる波のそばで大きな体を投げ出して泣くクイン。


また、水を飲むシーンは、ギリシア諸島のひとつの小さな島へと、
踊るクインへとつながる。
砂浜の上で、踊るゾルバ。
フランス人の初老の女主人は病死し、死をみとるゾルバ。
事業に失敗し、笑いころげ、小説家の主人公と一緒に踊るゾルバ。
エンディングとなる踊るシーン。


水道の蛇口から、その前に佇む、日本人の初老の男の姿へと、連なってゆく。
志村喬が帽子をかぶり、コートを着て、病院の待合室で待つシーンへと。
無人になった広い空間へと変わった待合室で、名前を呼ばれる。

レントゲン写真を前に、死への予感を感じる主人公は、絶望の中で、
医師や看護師達の視線と同情された顔に囲まれる。

公園のブランコをこぎながら、ゴンドラの歌を唄う主人公の志村喬。

揺れるブランコのシーンは、AKB48の「ギンガムチェック」(高橋監督バージョン)
の中へも連なっていった。
少女の台詞「そして未来を生きることにした」

そう、志村喬演じる「生きる」(黒澤明監督)と対応するイマージュ。

大島優子演じる未来を生きることを決意する少女の幼少の頃のイマージュ。
ギンガムチェックのシュシュ。

モノクロームからカラーへと、ようやく私の古層から戻れたようだ。