うぐいす色な記憶(2)
記憶は辿るものではない。
記憶は層をなしている地層なのだから・・・・・
だから、記憶はー掘り起こすものだ。
恐竜の化石を掘り出す考古学者のように、地面に腹這いになり、
ホコリを細かい毛でできた刷毛を使って、丁寧に払いのけたり、
ときには厚い岩盤を、つるはしで砕きながら進むのだろう。
そして、地層から出て来たものにたじろいではならない。
それがどんなに驚くべきものであろうと。
また、ときには顕微鏡で覗かなくてはならないくらい、
とても小さいものがでてくることだってあるだろう。
私の使うカメラは、四本の指で作るフレームだ。
左手と右手の人指指と親指を、平行四辺形型に組み合わせ、
ほぼ四角いフレーム。
ゴダールは、絵はがきをビデオカメラで撮影し、
フレームはなぜ四角いのかと疑問を思い抱き続ける。
絵はがきは、なぜ四角いのか?
楕円であってもよいのでは?
あるいは私は、
マンデルブロのように、
フラクタルなフレームのことを思い浮かべる。
すべてのカットは、フラクタルになって、
自己相似になったカットで
あってもよいのではないか、と。
ビルの中にビルがあり、そのビルの中にもビルがある。
人の顔のクローズアップは、
人の顔型のスクリーンに映し出される。
最初の撮影は、脱衣場だったろうか。
地獄の入り口のように、体格のよい男の看護師と、
地獄の脱衣婆のように、長身で屈強そうな婦長が、
われわれの患者の衣服を
脱衣籠へ積み重ねてゆく。
私は、物理的なフィルムのない、カメラをスタートさせる。
見えないフィルムへ、見えている映像を記録させる。
記憶の地層の間に、映像が堆積され、
年月と共に、褶曲したり、変形したり、
ときに断層したりして原型からずれ、
文学者達のいう異化が、
自然発酵的に、熟成するのだろう。
無表情な患者達は、おとなしくシャワールームへと歩いてゆく。
シャワーを、頭から浴び、石けんで頭を洗い、身体の垢や汗を、
やや冷たい、我々の心の温度のような、冷めた水で流す。
震える体をバスタオルでふきながら、
新しく配られるシャツと
囚人服ならぬ同じ薄いブルーのパジャマを着る。
後は、薬を貰い、喉へ水とともに流す。
そして、共同の部屋へ戻り、ベッドに入り、
消灯まで天井に浮かぶ模様を眼で追いかける。
やがて、暗転。