怒ってる人はなんで | ベランダの森

ベランダの森

旧【「深呼吸、よく噛んで食べる、感謝、すべてのことを当たり前と思わない」気まぐれ読書感想文日記、けど読書以外の話も多くてすみません。】よろしくお願いします!旧タイトルに毎日意識したいことをメモしました。忘れそうになるので。私にとっては健康第一なのです。

 

自分を含めて怒ってる人をたくさん見てきた。身近でもフィクションでもノンフィクションでも。

怒ってる人の気持ちいくらかはわかるようになった。

不満や言いたいことがある。さびしい悲しいつらい気持ちがある。怒ってる対象が好きで大切な場合と、そうでない場合とある。我慢や無理をしてくれてることも。頑張ってくれていることも。


私自身、小学生から20代前半頃までかなあ、すっごく怒りっぽかった。アンパンマンみたいな正義感もあって。アンパンマン好きな人ごめんなさい。近親憎悪みたいなの感じる。

それが疲れるしめんどくさいのもあって、怒りについて調べたり対処法を実践したりしてきた。

それもあって、年齢もあってかな~、昔よりずっと最近は怒らなくなった。イライラもだいぶうすれた。「もしかして、怒ってほしいのかな?怒るってある意味、本気ってことの一つの証(あかし)でもあるから」

ってときもあるけど、怒っても大丈夫ってそうとう思わないと、最近は怒りにくい。前のほうが、どうにでもなれどうだっていいって思いやすかった。怒らない伝え方も知った。

前は大事だから一生懸命だから怒ること多かったけど、いまは大事だから怒らないこと多い。

怒ってる人がなんで怒っているか、想像や推測をして、ある程度の答えにたどりつくこともある。

その答えに私自身が関係していたら、私ができる範囲で自分を変える場合もある。

でも車は急にとまれないし、私もそんな変われない。

私らしい快適な私ってある。

私は自分の思う悪いことはしていない。一般的な価値観とはだいたい重なるけど、違うとこもある。

でも私は悪いことと思わないけど、その人は悪いこと(悪いというかいや?やだ?)と思う範囲がある。そこの兼ね合いが最近のテーマ。

人と私は違うから。違う人も好きだから。

子供の頃から最近までも、ここ数ヶ月の間も、けっこう私は変化してきた。

14年前くらいから自分のことだいぶ好きなので変わらなくちゃとは思っていない。でも変わることで、より相手を大事にできるなら、できるだけ変わりたい気持ちもある。

私が変わろうとしてるように、あなたや誰かも変わろうとしてくれてるってこともあるな。お互い、それぞれ無理はしすぎず、我慢しすぎず。

変われてる部分もあるし、引き続き失敗してる部分もある。私自身に関しては、10代以前や10代の頃よりも、自他を許せるようになった。それは人を許せる人たちの影響も大きい。許せないエネルギーの良さもある。

完全にやめるのは無理なことでも少しでも減らすとか。自分では改善されてると思うんだけどね。

私が何十年もやってきたことって楽に生きるための方法。今まではそれが必要と思ってきた。これからについては、またちょっと考える。

私は楽であろう、健康であろうとしないと生きられなかった。でも楽にならないで健康にならないで生きれる人もいるかも。けど早くいなくなったら私がいやなんださびしいから。

人の良さって人それぞれ。