ついにこれも言いだしたな。
これも私がそうなだけ。
上とか下とかより、できるだけ好きとか好きじゃないで片づけたいことともつながる。人それぞれとも思いたい。
まず、私は私の言うところの「頭がいい」よりも、「歌える」や「弾ける」や「何かしらの表現ができる、つくれる」ほうがずっと素敵だと思っています。
スポーツが得意、とてもやさしい、かわいげがある、感じがいい、こだわりがある、真面目、一生懸命、おもしろい、頑丈、繊細、積極的、奥ゆかしい、ふつう、ふつうじゃない、人とうまくやれる、人とうまくやれない、いろんな長所を知っています。
人や自分のいいとこをよく探してるけど、そういうただの長所の一つ。「頭がいい」にもまたいろいろな意味があるとも思う。
でも昔好きだった仲の良かった人に「私は頭がいい!」って言ったら「それって差別用語ですよ」って言われた。好きになったくらいだから、私はその人のこととても魅力的だと思ってたけど、その人にとってそこはちょっと気にしてる部分だったらしい。もう会わなくても平気な心の友。
ちなみにその人たちが言ってくれた私のいいとこは、「フレンドリー」「思考したことを実行していて、一致している」だったかな。
まあ言ってもたいしたことないんですよ。お勉強に関しても、バランス良く平均よりちょっと得意なだけなんで。教えるのは得意なほうかもだけど。あんまりにも投資に大失敗したら、またそれ今度はネットでやろかな。
常識にとらわれないとか、自分から見てこうでも、相手からみたらどうだろう?みたいな見方をするところが自分で好きっぽい。いい言葉では「思慮深い」って言われた。そういう言葉を使う人は人間関係の要領がいい。要領悪い人も好きだけど。
自分のベストを探ってることが多いから、周りの人たちのこと好きだから、とくに私の周りの人たちのことも考えることが多いけど、前みたいに無理してない。疲れたら止まってたくさん眠る。
とくに私は、自分の言葉はできるだけ正確に使いたいと思ってる。冗談を言ったり、あせってて言い間違えるとかなどを除けば。
でもそうじゃない人の言葉の使い方は、私の使い方とはぜんぜん違うってわかってる。そこは自分にとってもかなり気に入っているところかな。相手が私と同じ言葉の使い方をしていると思いこんでいたら、なくしていたものがある。
あと私は言葉(気持ち)の量(文章)を使いすぎるときがあるから、それはやっぱり気をつけたいと思ってる。何回も反省してきた。
いやでも何度も失敗してきたから待てたのかな。