昨日、正午にも関わらず、娘が中学校から帰ってきた。
娘は、気圧の変化でしょっちゅう体調を崩すため、受験生ということもあって、内心(内申)ぎょっとした
“何?!早退したの??”
また?!と言いかけて、ぐっと飲みこむ。
“違う、やばい、学級閉鎖”
娘は、息せき切って、クラスの17人が学校を休んでいること、今日も早退者が出て、学級閉鎖になったことを矢継ぎ早にまくしたてた。
笑い事じゃない。
3日間学級閉鎖で、4日目文化祭(簡単な音楽祭に近い)で、またしばらく授業がないじゃないの
こういう時は、まだ胃が痛くなるのだと気がついた。
娘が今のところ元気なのはよかったけれど、息子には今日からまたマスクで学校に行ってもらっている。
私はといえば、今週いっぱいは、仕事をお休みにしてもらえた。
色々あるけれど、このタイミングで病気になったのも、病院のベッドという0地点で考える時間を授かったのも、与えられた流れだと思えた。
今日は朝からハローワークに行って、求職の登録をお願いしたり、失業保険が出る基準をクリアするためには、今月有休も含めて11日以上働けばよいことなど確認した。
最近は、病気のことを考えているせいか、他の大事なことを覚えられなくなっているので、細かいことも逐一メモするように気を付けた。
情けないなあ・・・。
帰宅して、団地に年に一度提出する書類を出しに行く。
私は母子家庭で、今の住まいに規定の1万円割引で住めており、年に一度、情報に変わりないかを申告する必要があるのだ。
それには住民票と、課税(非課税)証明書が必要なのだけれど、平日にも関わらず休みだった私は、ストレスなく書類を揃えることが出来た
元夫に住所を知られないようにするために、支援措置を受けている我が家は、コンビニ&マイナンバーカードで書類の発行が出来ない上、市役所での発行も、セキュリティ上時間がかかる。
家の近所には、市役所の出張所があるため、その点助かっている。
2022年に今の団地に出会えて、とんとん拍子で引っ越しが決まったことを、あらためて感謝する
流れに乗っていれば、きっと障害なく進める。
障害にぶつかったら、病気だってそうだが、自分の都合で動こうとしても、何も動かないこともある。
無理に動いたら、やけどするぜ的な・・・じっと待つしかない時もある。
流れに乗れた今日は、眼科の予約もすっと取れた。
癌が影響して、眼の不調で来院した際、お盆前で混んでいたのに、対応してくれた眼科だ。
癌の治療が終わったら、都合のよい時に予約して、ドライアイの再診と、緑内障の検査を念のため受けることになっていた。
本当に、あの時はありがたかった。
ドライアイはまだあるものの、癌の術後には、飛躍的に改善していた(水分吸収していた癌が取れたから)。
初めて受けた緑内障検査は、思っていたのと大分違った。
小さな光が見えたらボタンを押す、という検査を片目ずつ5分くらい?行う。
乱視・近眼・老眼&ドライアイにはなかなか・・・だった
結果は問題なしだったが、半年ごとに検査した方がよいとのこと。
私の体質なのか遺伝なのか、神経の問題で引っかかる要素があり、これは生活習慣関係なく、自分の努力でどうこうできるものではないらしい。
この眼科も、家から徒歩10分くらいの近所に新しく出来たクリニックで、先生もスタッフも適格・親切で、評判が良い。
今日も気持ちよく診察を終えながら、3か月ごとの歯科通い(お掃除とチェック)に、半年ごとの眼科通いが加わったなあと、なんだかしみじみした
大きな木に一目ぼれした団地の小道。
エヴァンゲリオンに出てきそうな、古い団地だからこそ、広いスペースと緑が魅力。
ひとつひとつ、今自分に与えられているものを考えると、神様から愛されてこうしてここにいるのだなあと実感します。
戸建ての家に揃えた家具、色々と離婚で失われましたが、今の住まいに新しく与えられたのは、ひとり親でも住みやすい環境や、私の病気のための整った環境でした。
人と比べたらきりがないのは当たり前だけれども、過去の自分にはなかなか決別できないものです。
お気に入りの家具、子どものための教育費、時には大きく育てたブーゲンビリアを思い出すこともあります。
物欲こわいですね。
でも死んだら、何も持っていけない。
今、この瞬間も、与えてくださったものを見逃さないように、感謝して歩みたいと思います。