ここ数年、電車に乗るといつも不愉快に感じることがある。
要するに、毎日不愉快ってことだけど。
カバンを自分の後ろに放り出して持っている人が増えたことだ。
学生のデイパックやスポーツバッグ。 いつも地べたに放り投げるような汚い底面を人の服に押しつけていても気にしない。 女性の横長のショルダーバッグや大きな紙袋。 とがった先端が腕につきささることもある。 その突き出したカバンに触れる人を睨む人さえいる。満員電車だもの。そんなにカバンが突き出ていたら、そりゃ当たりもしますよ。 お父さんたちのビジネスバッグ。前に新聞、後ろにカバン。どっちも周りの邪魔になっているけど、新聞を読むのに忙しくて、何も気にしてない。み~んな自分の邪魔にならない後ろへ放り出して、そのカバンが後ろの人にしでかす粗相については全く意に介さない。まあ、見えないのだからしょうがない。気づかないものには責任は持てないのだから。

そもそも、電車の中では荷物は自分の前に持ちましょうって、子供の時しつけられなかったのかな。セキュリティーのことを考えても、後ろへカバンを放り出す行為は、余りにも無防備だ。カバンの中身が丸見えの人がざらにいる。どうぞ取ってくださいと言わんばかりに。日本って、本当に平和なんだなあ。あんな持ち方をしていたら、余所の国ならスリにあっても文句言えないでしょ。そんな人は一度余所へ行ってスラれてみたら良いのかもしれない。

それにしても、このカバンの持ち方は、今風なのだろうか。流行? いずれ違う持ち方になるのかな。それとも、個人主義の主張? 自分の快適さを追求する行為なのだろうか。いやいや、アメリカやヨーロッパは個人主義だけど、人の迷惑にはならないようにするのも個人主義のマナーだから、そういうことは子供のうちにきっちりとしつけられる。もちろん中にはお行儀の悪い人はいるけれど、日本人はそのお行儀の悪いところばかりを真似ているように思う。格好いいのと勘違いして。何とも痛い日本人。

カバンのことから話がずれたけど、要するに、もっとみんな自分の周りを気遣うべきだと思う。まさに今痴漢をされている女子を目の前にしながら、はたまた、傍迷惑な餓鬼どもに注意することができず、知らぬ振りを決め込む大の大人。私は、そんな種類の人間になることを、断固として避けることを誓う。

そうやって、いつか知らない人に刺されたり、ホームから突き落とされたりしないよう、自分の安全も確保しないといけないけど。

もちろん、私はいつもカバンは自分の前に持っています。
韓国済州島に漢拏山という山がある。
私は2回、中腹までのコースを登ったことがあるけど、まだ頂上まで行ったことがない。
今年の春こそぜったいに登るつもりでいたけれど、その計画は実行できなかった。一緒に登ろうと約束した(私を山に連れて行ってくれる)人が、突然私の前から消え去ったからだ。理由は分からない。
そのことについて、今さら何かを言うつもりはないし、言いたくもないけれど、どうしてか、漢拏山への想いだけが、日に日に強くなる。
初めてあの姿を見たとき、凄くときめいたことを思い出す。なだらかな稜線が優しさをたたえていて、きれいな山だなと思った。一目惚れのようだった。今思えば、あの人を恋する気持ちと同じぐらい、私は漢拏山に恋していたのかも知れない。そして、あの人がいなくなった今、私にとって漢拏山も遠くなってしまったけど、だからといって、あの山に対する気持ちが消えることはない。登りたい。どうしても。
まだなかなか勇気が出てこないけれど、きっと、一人で行ってみせる。そう遠くない未来に。
漢拏山よ、私を待っていてください。大好きなあなた。
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ここに書こうと決めたときは、心が傷ついた自分を慰めるために恨み言を書いてしまったけど、それはだめだね。ブログを開く度に自分が書いたことを読み返しては、傷の痛みが新鮮に蘇ってきて、また悲しみのどん底に引き戻されるし、他の人が読んでも嫌な気持ちになるだろうし。どうせ書くなら、もっと前を向いたことを書きたいね。
ということで、最初に書いた文章は削除しようとして、やっぱりやめた。ふふふ。
当分の間は日記のつもりでちょっとずつ書こうかと思うけど、ひょっとしてこれを読んでくれる人の中で、私を助けてくれる人がいれば嬉しいな。外国人である私が、韓国語の文章を書くのは、やっぱり難しく、きっといろいろ不自然な韓国語になっているだろうけど、それを教えてくれる人がちかくにいないから、もし、自然な韓国語になるよう、私の間違いを教えてくれる人がいたらいいのに・・・。
立候補者、お待ちしております。