コロナの影響で帰りたくはなかったのですが、
どうしても帰らないと行けなかったので、
嫁さんの里 宇佐市に里帰りしてきました。
実家がある場所が、戦時中は、
『宇佐海軍航空隊』 があった場所の、ほんの側にあ
り、近くに、 爆弾池 と呼ばれる
空襲時の爆弾で空いた穴🕳に水が溜まった所が残って
いたのですが、あまりにも、管理ができておらず、
草もボーボーでしたが、最近きれいな状態となり、
観光できるようになってました。
嫁さんのお爺さんも戦闘機乗り(零戦雷電)で、
実家側の飛行場から飛び立つため、北朝鮮より宇佐に
戻った矢先、玉音放送により終戦。
命を繋ぐことが出来た事、また、義祖母や、当時4歳・1歳だった伯父・叔母の北朝鮮より引き揚げで日本へ帰ってきて、2年ぶりに義祖父と再会し涙した事等、本当に色々と亡き義祖母からたくさん教えて頂きました。
先人・先達のお陰で、我々は今、こうして平和の日本で生活ができております。
その意思を子供達へ伝え、日本人として、社会に貢献しながら大切な人生を次の世代へと繋げていきたいと思います。