幸せは、頑張ってつかみ取るもの
だと、信じてきた多くの人にとって、
楽に幸せになる
という、隠れ「幸せルール」は、
あまりにもシンプルすぎて、
受け入れるのがどうも難しいようです。
そんな私も、
ある日神社で意を決し、
「人生頑張ります!」 宣言をいたしましたが、
どうもこちら側ではない「声」の主から、
さらっと全否定していただきまして
(詳しくは👉)
その後の私は、
肩の力を抜いている自分を装ってみたり、
「マイナスなことに目をむけず、目の前のことに感謝しましょう」
と、
よく耳にする素晴らしい言葉を胸に刻んでみましたが、
心の奥底では、
目の前のイヤな現実や、悩みに
”ポジティブ”という名の、
蓋をしてしまっているような気持ちがあるのを感じていました。
しかし、
「その日」は突然やってきました。
いつもと変わらない日でした。
仕事の合間にいつもの神社に行き、
いつもの日が終わろうとしていました。
ふと、気持ちが軽いな~と感じたのです。
とはいっても、人間ですので、
日々、体調や感情の変化というものがあります。
特別なこととは全く思いませんでした。
しかしその日から、益々気持ちが軽くなっていったのです
特別良いこともなければ、
ましてや、思い出せばパニックになりそうな大きな悩みもそのままなのに、
なぜか心は幼少に戻ったかのように
ワクワクなのです
おまけに時間の感覚も、どんどん希薄になっていったのです。
そのうちに、
目の前の現実と、
私の気持ちが
同調していないことにも気づくことになりました。
自分が乗るはずの電車が止まってしまい、
帰宅時間が予定より大幅に遅くなったのです。
通常運転の私の「頭」が分析して言いました。
なんという運の悪さ。
疲れてもう立っていられない位なのに。。。
明日は朝早くから出かけないといけないのに。。。
それにかぶせるように、心が波打ってきます。
・・・ワクワク
まあ、まあ、まあ
人生に起こる予期せぬハプニングを楽しめてる自分、
なかなか頑張れてるよね♪
と無理矢理、奇妙な心の反応を正当化しておきました
今度は、
車を運転しているときに、
電信柱に思いっきり車をぶつけてしまったのです。
さすがにこの時ばかりは、
私の「頭」も通常運転から非常運転にスイッチが変わり、
様々な不安材料を収集して、
「現実」に向き合えるよう準備しているようでした。
「ありえない。。。買ったばかりの車だよ」
「ローンもまだまだあるのに、修理代もどれだけかかるのやら。。。」
「あんな見通しのいいところでぶつけるなんて、不注意にもほどがある!」
反省するに十分なお題をいただきました。
そして。。。
迎えた結論はといいますと、
・・・ワクワク
要約しますと、
家に帰れなくなり、
寒いホームに立ち往生して、ワクワク
買ったばかりの車をぶつけて・・・ワクワク
って・・・なんでやねん!
この言葉がないと収まらないくらい、
理解不能な現象がその後も続きました。
おぉ~哀れなえむす・・
波乱万丈の辛い人生が続きすぎて、
とうとうあなたの心は壊れてしまったのだろう
と、自分に優しく声をかけてもみました。
しかし、ある日突然与えられた、
この空気が読めないワクワクこそに、
幸せのヒントがあると、
のちに少しずつ気づいていったのです
つづく