私は20代でアメリカに渡ってから、
結婚し、子供を育てながら仕事をしていましたが、

キラキラした日々の中で生活しながらも、
いつしか私の頑張りは「幸せ」とは繋がっていないと感じるようになっていました。




結婚して平凡で幸せな人生を送りたかっただけなのに、

なぜか前に進めば進むほど、

人生で全く想像もしたことのないような出来事が、外国に住む私の身に降り注いできました。



ある日には、高速道路にて、時速100キロで運転していた夫に発作が突然起き、

普通の道路でさえ運転が下手でままならなかった私が、


意識を失った彼の代わりに、
 

助手席から恐怖に叫びながらハンドルを握りましたアセアセ


助手席からはブレーキに足が届かないので、カーチェースさながら車線を変え、

他の車の間を這うように運転しましたおーっ!



やっとサイドブレーキの存在に気づき、なんとか壁10cm手前で車を止めた瞬間には、


発作で泡をふいている夫も、


恐怖でおびえ泣いていた5分前の自分のことも、


すっかり意識からふっ飛んだハイ状態で、


「私・・今、

自分の新しい可能性の扉、

 

開けちゃったんじゃないの?」


などと、辛い現実から目をそらした事もありましたゲラゲラ




そして、そのうちに夫は仕事ができなくなり、貯金も家もすべて失い、
夫との普通の会話も難しくなっていきました。
 


それでも私のアメリカ生活は、生きがいである仕事に出会え、

なんといっても、多くの人に助けられて、とても幸運だったのですが、

20年走り続けてきた私の心はとうとう限界を迎えていったのです。


 

追い詰められた私は、日本にいちど戻って、

心も人生も立て直そうと、


とりあえず子供をつれて帰国しました。

 

外国であれだけ頑張れたんだから、

言葉が通じる自分の国で人生を立て直し、

病気の夫一人と、こどもを養っていくぐらいはできるだろうと、

覚悟を決めた帰国でした。


 

しかし日本に帰ってみると現実は厳しく、

 

さらに私の人生には、これでもかというくらい、さらに厳しい問題が起こったのですえーん

 

 

その頃は、

どうしても拭いきれない

「死にたい」

という、火が消えてしまいそうな心と、
 

 

「努力すればうまくいくはず」

という、ポジティブで力強い心が交互にやってきて、

なんとか綱渡りで生きている状態でした。




心がどんよりする日が多くを占めるようになったある日、


私は「もう一度だけ頑張ろう」と心に誓ったのです。

 

 

その日は数カ月ぶりに、

心からもう一度人生に挑戦しようと思えたので、

近所の神社に行って報告し、

心の区切りをつけたいと思いました。



拝殿に進み、私はこう言いました。

 

「私は大事な家族のために、

 

自分がやれることを精一杯頑張ることにします。

 

やっとそう思えるようになりました。

 

ありがとうございます。」

 

 

宣誓を聞いていただいて、

晴れ晴れした気持ちでいっぱいでした照れ

 

 


参拝後、いくつかの小さい祠をまわって、本殿のところにもどってきた瞬間。


 

「がんばるな」

という、男性らしき声が聞こえました。


 

 

人間、聞きたくないもの、見たくないものに遭遇したときは、

何もなかったように歩きつづけるものですゲラゲラ



脳が混乱したまま、
 

まって、まって。今なんか聞こえたけど。

気のせい、気のせい。

だって~、

 

「がんばります!」って、

人間として褒められそう
なこと言ってるのに、

まさか神様が頑張るな。。。っていうわけない。。。


・・・・って、まさかですよね?
と、




「声」に聞こえがしに、心で独り言をつぶやきながら歩いていましたが、

やはり気になったので、

すでに去った本殿のほうにもどってみました。
 

 

 

揚々と誓いを立てた直後に、さらっと一刀両断笑い泣き


空耳であってほしい耳



すると今度はさらに大きな声で

 

「おまえが がんばるな」

 



急にがんばるな! と言われても、
 

 

こっちはこっちで、やっとのことで覚悟した気持ちをすんなりひっこめられませんてへぺろ


 

頑固な私は、その意味を本当に理解するまで時間がかかりました。


 

しかし、結果からいいますと、

今の私はその「声」に従って

頑張っておらず

そして「幸せ」です。
 


辛かった日々も、ゆっくりとしたペースで好転している現実の今も、

私にとっては「幸せ」の一部です。
 

 

 

人生にはいろんなことがあります。

 

今現在も、辛い現実に直面している方がいらっしゃると思います。

 


しかし、人は誰もが、「幸せ」を選ぶことを許されていますし、

 

誰もが自分自身を幸せにする責任があると思っています。
 

 


自分を喜ばせるものやワクワクすること以外に頑張らないことは、

 

幸せな人生の基本であると、今は思っています。

 

 

 

真面目な日本人は、そういわれると、

つい「頑張らないこと」を頑張り始めますがウインク

私たちはシンプルに辛いことを頑張る必要はないのです。




「辛いけど、努力すれば道はひらける」と頑張っているうちは、

 

 

「声」の主も、「お前が頑張るのはそっちじゃない」と言ってるような気がします。

 


自分の幸せの在りかは、

きっと自分のワクワクする心が知っています。
 

 

自分が頑張らなくていいものに頑張ろうとし始めたら、

 

「これを頑張るのは私・僕じゃない」と、しら~っと幸せでいてくださいラブラブラブラブ

 



「お前が頑張るな」と私は言われましたが、

 

じゃあ誰が頑張ってくれるかなんて、私も存じ上げませんし、

自分が幸せであることに責任をもつために、


感謝をもって任せてみませんか?ラブラブゲラゲラ