こんにちは。
心理カウンセラー森玲子です。
わたし自身、生きづらさを
解決したいと学びはじめ
いま心理カウンセラーとして
多くの方の人生に関わらせて
いただいています。
わたしの生きづらさから
自由になっていった
過程を公開しています。
【心理カウンセラー森玲子人生振り返り 全50記事一覧ページ】
前回
#35.いろんな観念に気づく~「大人になってはいけない」の考察
https://ameblo.jp/greenbliss/entry-12438273863.html
つづき。
==== #36 ========
自分の気に入った服や靴を
身につけて出かけるとき
母の目がきになっていた
わたしですが、
母の目だけじゃなく
通りすがりの男性の視線も
気になっていました。
まさに
アンタッ!
どこ見てんのよ!状態。
(ちょっと古い)
イヤ完全に、自意識過剰ですわ。
なんだけど、
「たんなる自意識過剰」で
済ませずに
そもそも何を信じて
どんな観念を握りしめて
これを経験しているんだろう
とちゃんと見てみたんですよ。
そしたら、
女性として
性の対象として
見られては
いけない。
てのが出てきた。
つーーーーことはぁ?
いやいや、あんた!
あんた自身が
通りすがりの
その男性を
性の対象として
見たってことじゃぁ
ないのかーっ?
とひとりツッコミ。
こっぱずかしーーーぃ!
で、冷静に見つめてみた。
そして、わかったんです。
わたしが
性の対象として
見られてはいけない。
と同時に、
わたしが男性を見るときに
なにげに見たとしても
その視線が
『性の対象としてわたしが見ている』
と思われてはいけない。
と思っているんだなと。
それに気づいてしばらくは
男性とすれ違う度に
わたしが、性の対象
として見られていい。
わたしが誰かを
性の対象として
見ていると、
思われていい。
これを何度も心の中で唱えました。
で、どうなったかというと
好きなファッションを
楽しめるようになっています。
以前のように極端に
男性の目を気にすることはありません。
まったく気にならなくなるのも
おかしな話ですからね。
だって、誰かがわたしに
好意を持っているようだとか
いないようだとかに
気づけていいですもんね。
===============
つづき
↓↓
#37.観念探しで疲れ果てる。
https://ameblo.jp/greenbliss/entry-12438742863.html