幼稚園から小学校低学年まで仲のよかった、のりこちゃん。
のりこちゃんのおうちはお金持ちでした
その頃私が住んでた家
は平屋の古い借家で、畳はぶよぶよ、なぜか天井から土が落ちてくるような家でした
のりこちゃんのおうちは私と比べたら雲泥の差がある家庭でした。
お父さんは地元銀行
の支店長、お母さんは編み物の先生でした。
のりこちゃんのうちでは「お父さま、お母さま、お姉さま」とよんでました。
そして、屋根裏部屋に住んでる18歳くらいのお手伝いさんも住んでいました。
もう40年以上前のことですが、のりこちゃんのおうちの間取りは今でもはっきりと覚えています
玄関を入って正面には応接室があり、
アップライトピアノ

ステレオや暖炉、マントルピースもありました
玄関の右側はキッチン。幼稚園の頃にすでに電子レンジもありました。
我が家にレンジが来たのはそれから10年近く経ってからでしたからかなりハイカラですよね
トイレ
は両側に扉
が付いていて、廊下からも洗面所からも入れるようになっていました。
その頃すでに洋式トイレ。我が家はもちろんポットン便所
のりこちゃんちのトイレ
で用を足すと必ず、パンツを濡らしたものでした
応接室の隣は和室。ほかの部屋より少し高くなってたような気がします。茶室っぽかったような。
濡れ縁もありました。

一番奥にはご両親の寝室が。ベッドが二つあって、クローゼットやドレッサーがあったように思います。この部屋はよくかくれんぼをして隠れてました。
二階の部屋は6畳と4畳半の部屋とお手伝いさんの住む屋根裏部屋があり、天井が斜めになってるところにお手伝いさんのベッドがおいてありました
二階にはベランダも。
のりこちゃんの妹のともこちゃんの部屋にはお母さんの編み機や毛糸、押し入れいっぱいのリカちゃん人形


我が家ではリカちゃん人形は買ってもらえなかったので夢中で遊んでました
そして庭には池も

ししおどしもありました。

ほかに鉄棒も設置してありました。
私ものりこちゃんも鉄棒が得意で幼稚園の頃からスカート回り(鉄棒にスカートを巻き付けて回るワザ)をよくやってました
こんなに家
の間取りをはっきり覚えているのに、のりこちゃんちの車は覚えてません
まだその頃一家に一台あるかないかの時代でしたが、私の父は自営業でしたのでうちには車がありましたが、のりこちゃんちの車はあったのかなぁ…もしかしたらなかったのかも
何もかもが私の家
とは桁違いでしたが、小学校の時は一緒にピアノも習いに通ってました
のりこちゃんのお母さんは編み物の先生で働いてらしたので、おうちにいらした記憶はあまりありません。
幼稚園の頃だったと思うある日、遊んでたら夕方になって、のりこちゃんのお母さんが「ゆみこちゃん、カレー作ったから食べて行きなさい
」と言ってくれました
それなのに
のりこちゃんちのカレーを見るなり、私は「こんなのカレーじゃない
」と言って泣いて帰りました
なんで泣いて帰ったかって
当時の我が家のカレーは豚肉の大きな角切りの入ったポークカレーが定番でした。
しかし、のりこちゃんちのは牛肉の細切れの入ったビーフカレーだったのです
子どもって残酷なんですよね
すべての基準は自分ち。
それ以外は受け入れられない
だから、クリスマスプレゼントも、うちではクリスマスブーツに入ったお菓子がクリスマスプレゼント
のりこちゃんがお人形さんやらお洋服やらおままごとセットをサンタさんからもらったって言っても信じませんでした
「サンタさんはお菓子しかくれないんだよぉ
」「のりこちゃんのウソつき
」と仕舞いにはウソつき呼ばわり
そんなのりこちゃんとも学年が上がるにつれ、クラスが変わったり、段々一緒に遊ばなくなり6年生に上がるときに私は引っ越し、転校しました。
その後、中学生になったころに一度会った記憶はありますが、特になにもなかったような…
そのさらに10年後くらいにばったり会うことがありました。
私が通ってた書道教室のカルチャーセンターの受付をやってたんです。
そこにはのりこちゃんのお母さんも編み物教室の先生をやってらして、その後のりこちゃんはお嫁に行ったのか受付からもいなくなりましたが、のりこちゃんのお母さんとはその後10年くらいは顔をあわせてたと思います。
だいぶ年月も経ち、会ってみたい気もするけど、意外に会わないほうがいいのかな
子どもの頃の思い出として
夏の夜に遠い昔を思い出してみました。
おしまい。
のりこちゃんのおうちはお金持ちでした

その頃私が住んでた家
は平屋の古い借家で、畳はぶよぶよ、なぜか天井から土が落ちてくるような家でした
のりこちゃんのおうちは私と比べたら雲泥の差がある家庭でした。
お父さんは地元銀行
の支店長、お母さんは編み物の先生でした。のりこちゃんのうちでは「お父さま、お母さま、お姉さま」とよんでました。
そして、屋根裏部屋に住んでる18歳くらいのお手伝いさんも住んでいました。
もう40年以上前のことですが、のりこちゃんのおうちの間取りは今でもはっきりと覚えています

玄関を入って正面には応接室があり、
アップライトピアノ

ステレオや暖炉、マントルピースもありました

玄関の右側はキッチン。幼稚園の頃にすでに電子レンジもありました。
我が家にレンジが来たのはそれから10年近く経ってからでしたからかなりハイカラですよね

トイレ
は両側に扉
が付いていて、廊下からも洗面所からも入れるようになっていました。その頃すでに洋式トイレ。我が家はもちろんポットン便所

のりこちゃんちのトイレ
で用を足すと必ず、パンツを濡らしたものでした
応接室の隣は和室。ほかの部屋より少し高くなってたような気がします。茶室っぽかったような。

濡れ縁もありました。

一番奥にはご両親の寝室が。ベッドが二つあって、クローゼットやドレッサーがあったように思います。この部屋はよくかくれんぼをして隠れてました。
二階の部屋は6畳と4畳半の部屋とお手伝いさんの住む屋根裏部屋があり、天井が斜めになってるところにお手伝いさんのベッドがおいてありました

二階にはベランダも。
のりこちゃんの妹のともこちゃんの部屋にはお母さんの編み機や毛糸、押し入れいっぱいのリカちゃん人形


我が家ではリカちゃん人形は買ってもらえなかったので夢中で遊んでました

そして庭には池も

ししおどしもありました。

ほかに鉄棒も設置してありました。
私ものりこちゃんも鉄棒が得意で幼稚園の頃からスカート回り(鉄棒にスカートを巻き付けて回るワザ)をよくやってました

こんなに家
の間取りをはっきり覚えているのに、のりこちゃんちの車は覚えてません
まだその頃一家に一台あるかないかの時代でしたが、私の父は自営業でしたのでうちには車がありましたが、のりこちゃんちの車はあったのかなぁ…もしかしたらなかったのかも

何もかもが私の家
とは桁違いでしたが、小学校の時は一緒にピアノも習いに通ってました
のりこちゃんのお母さんは編み物の先生で働いてらしたので、おうちにいらした記憶はあまりありません。
幼稚園の頃だったと思うある日、遊んでたら夕方になって、のりこちゃんのお母さんが「ゆみこちゃん、カレー作ったから食べて行きなさい
」と言ってくれました
それなのに
のりこちゃんちのカレーを見るなり、私は「こんなのカレーじゃない
」と言って泣いて帰りました
なんで泣いて帰ったかって

当時の我が家のカレーは豚肉の大きな角切りの入ったポークカレーが定番でした。
しかし、のりこちゃんちのは牛肉の細切れの入ったビーフカレーだったのです

子どもって残酷なんですよね

すべての基準は自分ち。
それ以外は受け入れられない

だから、クリスマスプレゼントも、うちではクリスマスブーツに入ったお菓子がクリスマスプレゼント

のりこちゃんがお人形さんやらお洋服やらおままごとセットをサンタさんからもらったって言っても信じませんでした

「サンタさんはお菓子しかくれないんだよぉ
」「のりこちゃんのウソつき
」と仕舞いにはウソつき呼ばわり
そんなのりこちゃんとも学年が上がるにつれ、クラスが変わったり、段々一緒に遊ばなくなり6年生に上がるときに私は引っ越し、転校しました。
その後、中学生になったころに一度会った記憶はありますが、特になにもなかったような…
そのさらに10年後くらいにばったり会うことがありました。
私が通ってた書道教室のカルチャーセンターの受付をやってたんです。
そこにはのりこちゃんのお母さんも編み物教室の先生をやってらして、その後のりこちゃんはお嫁に行ったのか受付からもいなくなりましたが、のりこちゃんのお母さんとはその後10年くらいは顔をあわせてたと思います。
だいぶ年月も経ち、会ってみたい気もするけど、意外に会わないほうがいいのかな

子どもの頃の思い出として

夏の夜に遠い昔を思い出してみました。
おしまい。