現在NHKBSプレミアムで日曜日に放映中の韓国時代劇ドラマ「奇皇后」を一足早く見終わった。
見逃した回を見たくて、ネット上で探して見たのが運のつき、ネット上には全部の回(51話)のドラマがアップされていて(前半は日本語字幕、後半は英語字幕になったが)、面白さのあまり、とうとう最終回まで見てしまった。

舞台は1300年代のモンゴル帝国の元、朝鮮半島の高麗、モンゴル高原などで、ひとりの朝鮮半島・高麗の貧民出身の女性が、いろいろあって、高麗の王(一時地位を追われたりするが)と元の皇太子(後に皇帝)の二人に愛され、元の皇后にまでなるのが中心ストーリーの波瀾万丈、アクションも満載の歴史スペクタクルドラマである。

高麗の貧しい出の女性が元の皇帝の皇后になったというのは史実らしい。
1300年代の東アジア大陸の有り様....元により属国となった高麗が搾取され、女性が貢ぎ物として差し出される様や、元の統治のやり方の詳細、元が飢饉や放漫政治により弱体化し、やがて反乱軍により追い込まれていく所までが背景として描かれていて、中国・朝鮮のその時代の有り様がとても興味深く伺えて、楽しめた。

奇皇后が実は、弓を射る武術の達人であったり、元の辺境で騒動を起こす遊牧民族の首領が実は男装した美人の女性だったりというのは、もちろんフィクションであろう。

この奇皇后、ドラマの中で、片手を元の皇帝に、もうひとつの手を高麗の国王に握られて困惑するというシーンが出て来るが、こういったうらやましいシュチュエーションは世の女性のかなりの部分の夢なのではないだろうか。

もうひとつ、怖くなったのが女性の嫉妬。
元の王宮における、皇帝の愛を独占し、やがては権力をも手に入れる女性(後の奇皇后)に対する、皇后や皇太后などの間の嫉妬の凄さが恐ろしい。
陰謀、毒の混入、邪魔者の殺害など何でもありである。
美人の女性達の微笑みに隠れた凍り付くような恐ろしさ.....女性が怖くなりそう...

このドラマを見ていると、歴史を動かしているのは、富とそれに至る権力を求める権力欲、名誉欲、リーダーの領土拡張欲、そして時に理知に基づく少しはまともな改革への動きであり、これらがせめぎ合い、その時々の権力闘争の勝者が敗者を殺害あるいは流刑にし、勝者がリーダーとなり、交代が繰り返されていくものと思われた。
日本も明治の頃までは、そうであったのではないか。

ドラマを見終わって、史実はどうなっているかと、改めて子どもの本棚にあった世界史の高校教科書をひもといてみた。

ドラマの時代については、「中国でも、放漫財政や内紛で元の統治がゆらいだ。
交鈔(元の紙幣)の乱発や専売制度の強化が飢饉とあいまって民衆を苦しめ、紅巾の乱をはじめとして各地に反乱がおこり、元は明軍に大都(元の首都、今の北京)をうばわれてモンゴル高原にしりぞいた(1368年)」とあった。

ドラマ「奇皇后」でも、偽金の紙幣の氾濫や、塩などの専売制度や特定商人による利益の独占、飢饉による民衆の飢えが描かれている。
史実同様、ドラマは奇皇后が若い息子の皇帝と共に、北へ(モンゴル高原へ)逃れるところで終わる。

世界史の面白さは、教科書の1行~数行の記述の中に、実は人々の壮大なドラマ(愛と欲望と権力闘争等等)が隠れているということだと思う。

ドラマ「奇皇后」は中国・朝鮮半島、東アジアの歴史への興味をかきたててくれた。
アジアに限らず、世界史の教科書を改めて読み通してみたくなった。

集団的自衛権を現行憲法の枠内で認めるという解釈改憲の閣議決定の後、母親の間で徴兵制復活への不安が高まっているという。
親たる者が当然感じるであろう不安であろう。

以下「 」は、アエラ(2014/7/21号、p.58)からの引用。

「息子は身長が高く....骨格はいい。....そんなに目立つ体で体育大学に進ませたら、真っ先に徴兵されるのではないか。........ いま日本の多くの母親たちが、程度の差こそあれ、同じような不安にかられている。
わが子が戦争に行かされるかもしれない。
そんな不安の原因が、‘徴兵制復活’への疑念だ。」

「自民党議員...村上誠一郎元行革担当相は、こう警鐘を鳴らした。
‘(集団的自衛権で)地球の裏側まで命を懸けて自衛隊員に行ってもらうことになると、隊員は集まらない。
国民や政治家は徴兵制度を覚悟しているのか。’
..... (自衛隊の)志願者が減り、隊員数の維持のために将来的に‘徴兵制’が導入される、という指摘である。」

自民党の元幹事長の加藤紘一氏は
「集団的自衛権の議論は、やりだすと徴兵制まで行き着きかねない」(アエラ同上)
として、反対意見を表明している。

同じく自民党の重鎮であった元幹事長の野中広務氏も
「自衛隊という若い人たちが戦闘地に出て行って死ぬ。
若い人たちが死ぬ。
自衛隊志願者がいなくなる。
そうなったら徴兵制が出て来る」(アエラ同上)
として反対意見を表明している。

しばらく前まで自民党保守政治の中心に居た元幹部達までもが集団的自衛権の容認に反対し、やがては徴兵制に行き着く危険を訴えている。
我々有権者は、忍耐強く、今後の様々な選挙で、国民の合意無く、憲法解釈変更・集団的自衛権容認を強行した自民・公明、現政府の暴走を止めるべく、選挙権を行使することが非常に大事だと思う。

現に、先の7月13日の滋賀県知事選挙で敗北したら、政府は、急遽、集団的自衛権の危険イメージ除去にホームページ上で懸命で、集団的自衛権の政府説明を覆している。

いかに危険イメージ除去に努めようと、以下のジャーナリスト松竹氏の見解には同感である。
「ジャーナリスト松竹伸幸さんは ‘政府がいくら「自衛隊の活動は大きく変えない」と説明しても実際に憲法解釈を変更した。
米国から出動要請があれば、時の政権の意向で、自衛隊がこれまでと違った危険地域に派遣できるようになった本質は変わらない’ と批判している」
(東京新聞系地方紙、2014年7月21日朝刊記事「‘戦闘現場に派遣するわけではない’危険イメージ除去懸命 集団的自衛権政府説明を覆す」より)


世論調査で7割り近い国民がなぜ今急いで決めるのかと疑問を感じていた平和憲法を骨抜きにするズル行為の一歩が踏み出された。
必要最小限度の国土防衛という枠を超えて、今まで憲法9条が禁じてきた他国での戦闘行為に道を開く集団的自衛権を認める閣議決定が自民党・公明党の賛同により行なわれた。

想定されているような朝鮮半島での戦争が起こった時に、自衛だ何だといかなる理由付けであれ、日本がその戦闘行為に他国領域においていったん加担すれば、相手国にとっては日本は敵国となり、当然ながら、日本国内の基地や都市にミサイル攻撃がなされ、最悪の場合は核兵器が炸裂することも覚悟する必要がある。

そういった日本国民の命を大量に奪いかねない戦争参加への歯止めを外す極めて重大な決定を、この国民主権の世の中で国民に正面から賛否を問うこと無く、たまたま、民主党の失政のお陰で得た自民・公明で国会過半数というタイミングを利用し、ドタバタと駆け込み裏口入学のようなズルい手法で突破を計ろうとする自民党・公明党の罪は大きい。

今の小選挙区の国会議員は地元対応で頭がいっぱいで、安全保障に関する知識レベルが低いと江田議員(結いの党)が嘆いていたが、案の定、自民党議員はただ一人反対意見を述べている村上誠一郎議員を除いては、人事をちらつかされると皆押し黙って暴挙を押し進める役割を担っている。
公明党は、平和を旗印にした党だそうで、当初は頑張ってくれるかと期待したが、よっぽど与党でいることの旨味は大きいようで、執行部は、将来の国民の命よりは、連立維持という今現在の与党である利益や党利が大事なようだ。
「みんなの党」や「維新の会」も、野党でありながら、集団的自衛権のズルい手法での承認に媚を示し、与党ににじり寄っていて、罪は大きい。

日本の若者の命(あなたの子どもの命)をかけてまで、他国における戦闘行為に参加しなければいけないのかどうか、将来の日本にミサイルや核兵器が降りかねない集団的自衛権への踏み出しを認めるか認めないかは、極めて重大な国家的進路の転換であるから、正面から国民に問いかけ、憲法9条に抵触すると解釈されていた訳であるから、その点での憲法改正を問うべきである。

何故、安部首相はこれほどまでズルをして、暴挙に突き進むのか?
自民党側近の語るところによると、安倍首相には「教科書に載るような業績をあげたい」との願望があるとのこと。
何人かの論者が批判しているが、右寄りの軍国的国家に郷愁があるかに見えるご自分の個人的嗜好のために、日本の政治と国民の将来を、それも正面からではなくズルや裏口入学的手法で振り回すのはやめていただきたいと思う。

国民の7割り近い人が世論調査で疑問を呈している現時点でのドタバタの集団的自衛権の合憲解釈をなぜ与党執行部は強行できるのか?
それは、ただ1点、「日本国民は怒ってもすぐ忘れる」からと馬鹿にされているからである。

秘密保護法の時も言ったが、次も次の次の国政選挙も、保身のため押し黙ってしまう自民党議員、平和の党といっても結局最後は執行部一任でシャンシャンの公明党議員、それにみんなの党・維新の会のすり寄り議員には絶対投票しないようにしましょう。
そして、ズルにより危うくなりかけている日本のあり方を正す必要がある。
そうしないと、数年後には日本の若者が他国の戦場で戦死し、いつの日か日本に核ミサイルが落ちる時が来かねない。

第一次世界大戦は、某国皇太子夫妻が暗殺されたことがきっかけで、ヨーロッパ各国の集団的自衛権や同盟関係の絡みから次々に戦火が拡大し、結局1千万人が戦死した。
二人の死去が1千万人の戦死....だれがそのような惨事を予測できただろうか。

今日も与党執行部は、「これこれの歯止めをかけたから大丈夫」などと言っているが、憲法ですら、ズルを強行することにより政治家が低質だと骨抜きにされてしまうご時勢。
歯止めの文言など、いったんタガがはずれれば何の防波堤にもならない。
大津波・大地震と同様に、ミサイル、核ミサイルの惨事も、あのズル暴挙がきっかけでそんな事態を引き起こすとまでは想定しなかったと、「想定外」を後々嘆いても遅すぎるのです。

以下は、ある方のブログを読んで触発され、コメントさせていただいた内容なんですが、一般性もあると思うので以下に載せます。

「深く分かり合った、安らげる関係」って、確かに獲得するのはなかなか難しいものだと思います。
一挙に手近に手に入れられるものではないでしょうね。
いくつかの段階を経て、時間・歳月もかけてたどり着くもののように思います。

知り合った当初は、お互い「いい面」だけ見せ合っているのではないでしょうか。
その段階で、相手の「いい面」の心根、性格などが魅力的であれば、お互いに惹かれていき、「いい面」においてであるけれど、二人の絆は太いものになっていくんだと思います。

こういった段階で、例えば結婚といった安定した関係に進みます。
そして、安定した関係のもとで、例えば育児・家事などを協力して進める共同生活の経験等を通じて、相手に対する信頼感が深まっていく気がします。

相手の「いい面」に起因する好感と、協同体験から来る信頼感から絆は更に太く感じられるようになり、そうなると、「いい面」の裏に隠していた、鎧を脱いだ自分も警戒感無く、自然と相手にさらすようになる。

既に太い絆が形作られていると、あまり魅力的とは言えない側面をさらしても、それだけで太い絆が断ち切れることはなく、相手の「いい面」も「魅力的とは言えない面」も分かり合った、鎧を脱いだ安らげる関係に至れるのではないかと思います。

10年20年といった年月がかかるかもしれない長いスケールの話ですが...。

「続・最後から二番目の恋」というフジテレビのドラマを何回か見ているけど、中井貴一と小泉今日子同士やとりまく面々の男と女に関するいろいろなやりとりがリアルで軽妙で面白いですね。

妻に先立たれたほんわかした感じの中井貴一演じる50前後の男、いい感じで、もてますね。
趣味の市民教室みたいなところで、きれいな中年女性(娘の彼氏の母親で夫と死別)から「セフレ」を前提としたお友達付き合いを何度も求められて、ドギマギとか...。


柴田理恵演ずる上司の市長に好意を持たれて困ってしまうし..。

小泉今日子演じる中年女性も魅力的でいいですね。
雰囲気が「あまちゃん」出演の時とあまり変わらない感じ。地がそうなのかな~。
気取ってなくて、ざっくばらんで、それでいて色気がある...いいな~と思います。

中井貴一役の男性のセフレ話を聞いて、「私もセフレ欲しいと思うことありますよ」という率直な会話。

「この2年間、女として何もないんじゃないの」って若い生意気な女性脚本家から言われたりで、そういったことをビール飲みながら夜更けのベンチで会話する二人。


この二人の関係は進展して行くんだろうな~。


そういえば、中井貴一も小泉今日子も異性にとって、その人にやさしくしてもらえるといいだろうなと感じる癒し系的なところがあるんじゃないかという気がしました。


中年の男と女の気持ちが軽妙に描かれていて、また次回が見たくなるドラマでした。

スーパー等で、賞味期限が迫ったため捨てられる食材・食品の量がとても多いとのNHKの報道番組をしばらく前に見ました。 
世界には飢えたる人も多いのにもったいないと思いました。 

それ以降、豆腐や納豆、その他いろいろな食材を買う時、賞味期限の古いものから買うようにしています。 
でも、左右で買っている人を見ると、陳列棚の後列から日付の新しいものを引っ張り出して買っていく女性(熟女も若い人も)が多数派ですね。 
ぼくもかつてはそうでしたが..(^^;)。 

あなたはいかが..? (^^)

 直近の世論調査(朝日新聞12月2日)では73%の人が、今国会での成立は目指すべきではないとした「特定秘密保護法」が衆議院と参議院で採決強行により昨夜(2013年12月6日)成立しました。

 この法案は、秘密の範囲が曖昧であり拡大解釈の危険が大きいという問題、指定された秘密の内容を主権者である国民の目線で第三者機関がチェックできる仕組みが整備されていないという問題等、現行では日本の民主主義の根幹を揺るがしかねない危険なものであると思います。

 私も秘密として保護すべきものがあることは認める立場です。
しかし、法案の種々の重大な不備が明らかになっているにも関わらず、付け焼き刃的な繕いで済ませ、7割の世論の反対を無視し、未成熟な形のまま短時間の審議で法案をともかく通そうとして強行採決した「自民党」と「公明党」に対しては怒りを禁じ得ません。

 この悪法が施行される1年後までにはできるだけマシな形に修正して、少しでも問題な点を少なくする努力も大切であるとは思います。
 しかし、同時に、それだけにとどまらず、次の国政選挙で、この法律を廃止、あるいは大幅改正できるよう政党を慎重に選んで投票することが極めて大切だと思います。

 3年後に予定されるという国政選挙では、今回の国会で国民世論を無視して危険な法案を強行成立させたことに対する責任を関係した政党にはしっかりととってもらう必要があります。
 与党の「自民党」と「公明党」に対してはもちろんですが、与党にすり寄って問題解決にほど遠い修正案でよしとした「みんなの党」と「維新の会」も目がどこに向いているのか疑われます。

 3年も先の選挙であれば国民はこれらの暴挙も忘れるだろうという国民蔑視の思考が与党のこの暴挙の背景にはあるとの識者の見解がありましたが、私も同様に感じています。 

 民意を無視した国会でのこの暴挙はしっかりと3年先、いやもっと先々まで記憶にとどめ、以後の選挙では、民主主義の基本を忘れた「自民党」と「公明党」の国会議員にはしっかりと責任をとっていただき、日本は国民主権の成熟した民主主義国家であることを示しましょう。

 この暴挙をこのまま許すのかどうか、日本の民主主義が問われています。

朝日新聞社の雑誌アエラ(2013年10月7日号)の「日本一幸せなVERY妻」というタイトルで、「VERY」という雑誌の内容の紹介があった。

「VERY」のページを飾るのは幸せオーラ全開の読者たち、とのこと。
閉塞感漂う日本で、このキラキラ度は群を抜く、とある。

女性の編集長によると、「主婦だって女らしくていい。仕事観や価値観は多様化していますが、家庭という基盤の上で輝いている点では共通しています。」
この雑誌のスローガンは「基盤のある女性は、強く、優しく、美しい」とのこと。

また、ある「VERY誌」についての論文によると、「夫や実家の経済力を基盤に、友人とのランチやお稽古事、ブランド品の消費を満喫する幸せな専業主婦像が誌面に提示」されており、「妻であり、母であり、主婦であることを決して否定することなく「幸せないい女」を提示」しているのがVERYであるとのこと。

リッチで家庭的でいて、かつ女としても美しく輝いている読者像がイメージされます。

そのうえで驚いたのが、VERYの読者(「VERY妻」)についての編集部による調査によると、「夫とのセックスの頻度は?」の回答が、60%が「2ケ月に1回」とのこと。
「半年に1回」と「年に1回」を合わせると15%で、実に75%が月に1回もしていないことになります。

ブランド品を満喫し、いい女であることも求め続ける「妻」たる女性達の多数が、実は夫との関係で、セックスレスとは驚きでした。

まあ、考えてみれば、奥さんは優しく美しく輝いていても、旦那はこの競争社会のもとで疲弊し、家に帰るとグッタリかも、とも思われます。
そう考えると高いセックスレス率も納得です。

で、また衝撃的!?な記事が、週刊ポスト(2013年10月18日号)に載っていました。
「話題のVERY妻は「ちょっとジムに行ってくる感覚」で浮気している」とのタイトル記事です。
読んでいませんが(笑)、VERY誌7月号に「私たちとセックスレス」という題の座談会が掲載され、そこでの読者の発言がタイトルになったようです。

VERY誌の見出しに「主婦って、なんてイイ女! 妻として、主婦として、第2のモテキ狙います!」というのもあったらしい (^^;)。
75%が旦那とセックスレスであるというイイ女達が、第2のモテキを狙うって....(汗)。

女を磨いてはみたものの、旦那は相手をしてくれないとなるとどうなるのか?
モテキを狙うって、旦那相手に? 
日本の多くの家庭において共通の問題点があるとすると、心配になりますね。

確かにおっしゃる通りでしょうね。以下は、週刊朝日に載った稲森氏の問答です。

「問: 稲盛会長は京セラ、KDDI、JALなどで多くの部下をお持ちですが、どういう人が仕事で良い成果を上げるとお考えですか?

稲盛氏: 私が考えた人生・仕事の方程式というものがあります。
人生・仕事の結果=考え方 x 熱意 x 能力、というものです。
大事なのは、その人が持つ、人生や仕事に対する「考え方」と「熱意」であり、「能力」は3番目と考えています。

 ここで言う「能力」とは、知能、学力や運動神経などです。
多分に先天的なものがあり、個人の意志が及ぶものではありません。
能力を点数で表せば、「0点」から「100点」まであります。

問: 次に「考え方」とは?

稲盛氏: 例えば、世を拗ね、人を恨み、斜めに構えたものの見方をする人の「考え方」はマイナスになります。
一方、壁にぶつかっても素直に人の意見を吸収し、苦労も厭わず、仲間や他人に善かれと願い、明るく真面目に努力し続ける人の「考え方」はプラスになっていく。
つまり、「考え方」次第でその人の人生は大きく変わっていくと思うのです。
だから「考え方」には、「マイナス100点」から「プラス100点」まであるのです。

問: 「熱意」とは?

稲盛氏: 「熱意」は「努力」と言い換えることができます。
これも全くやる気のない「0点」から、仕事に対し、燃えるような情熱を抱き、懸命に努力する「100点」まであります。

問: 「考え方」が一番重要なのですか?

稲盛氏: はい。...立身出世する人の多くは、アグレッシブで同時にエゴ(物欲、名誉欲、色欲)も人一倍強い。
エゴを肥大化させると...つまずいていく。
人はエゴで成功もしますが、破滅もするのです。

 己というエゴを常に制御し、いつも正しい考え方、道理に合った決断ができるように心を整える努力を怠らないことです。
リーダーは己を愛することが一番になっては駄目で、自己犠牲を払ってでも組織のために貢献しようとすべきです。

問: この方程式の具体例を挙げてもらえますか?

稲盛氏: 学力が高く優秀で、能力が90点の社員がいるとします。
彼は、自らの能力を過信し、仕事をなめて、努力を怠っているので、熱意が40 点、考え方も50点しかありません。
すると、仕事の結果は掛け算となるので、18万点となります。
一方、能力は50点しかない社員が、能力で劣る分、仕事に情熱を持ち、人の何倍もの努力を続けたとしたら、熱意が90点となります。
さらに前向きで思いやりがあり、考え方が80点であれば、結果は倍の36万点にもなります。
平凡な能力しか持たない社員でも、すばらしい考え方を持ち、懸命に努力すれば、信じられないほどの成果を生み出せるのです。
........

問: この方程式を考えられたのはいつ頃ですか?

稲盛氏: 京セラを創業してすぐです。
平凡な能力しか持たず、平凡な人間である私が、人並み以上のことを成し遂げる方法はないだろうかと必死で考えました。
私自身、この方程式に基づいてずっと仕事をしてきましたし、この方程式が京セラを発展させたとも思っています。
......

問:この方程式のベースとなっているご自身の経験はありますか?

稲盛氏: 若い頃、何をやってもうまくいかない時期がありました。....
中学、大学受験にも失敗し、第1希望の学校には進学できず(参、鹿児島大学卒)、就職先を探すのも就職難の時で大変でした。
ようやく内定が決まった松風工業という会社は当時、毎年赤字...でした。
 松風工業時代、新しいセラミック材料の研究をしていましたが、給与の遅配などで同期がやめていき....私も転職しようと、自衛隊の...学校に..合格したのですが、実家が反対し、必要書類の...を送ってくれませんでした。
心機一転、自分の研究に前向きに取り組むようになり、没頭すると、画期的な製品を開発することができました。
後にこの技術で京セラを創業しました。
考え方をマイナスからプラスに変えた時、私の人生が好転し始めたのです。

問: 方程式通り、大きな成果をあげた人はいますか?

稲盛氏: はい。京セラの創立メンバーの一人、伊藤謙介さんは、松風工業時代からの部下でした。
彼は倉敷の高校しか卒業していませんが、地頭はよく、仕事への情熱は誰よりも持っていました。
そして、損得では決して動かない、信頼できる人柄で、...彼を社長に抜擢しました。
...彼は京セラフィロソフィと呼ばれる経営哲学を手帳にまとめ、全社員を教育、コスト削減を断行、業績を向上させることに見事、成功しました。

 うちの幹部連中を見渡しても実は、一流大卒があまりいません。....
会社が小さい時は残業と苦労の連続。
能力がある人の多くは、さっさと転職していきました。
残った連中は部下を引っ張りながら辛酸をなめ、人間ができてきたように思います。」

(週刊朝日2013年9月27日号、「稲盛和夫、これが私の生きてきた道」より)
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稲盛さんも、転職を考えることをやめて、今居る場所で自分の抱えている研究課題に没頭した結果、画期的な製品開発に成功したんですね。

理想の環境や職を求めて右往左往するのではなく、まずは今居る場所で、今向き合っている仕事に全力を注いでみなさい、そうすれば道は開けるものだ、という考え方は、他にも見かけるものですが、確かにいろんな立場の人に当てはまる考え方だと思います。

(今居る場所がブラック企業であることが明らかになった場合は、自身の健康を守るためにも専門家と協同した就業環境の正常化の努力や場合によっては転職が必要となるかもしれませんが...)

人生であれ仕事であれ、その結果は、「考え方」「熱意」「能力」の掛け算であるというのはおっしゃるとおりだと思います。

自らを律する言葉にしたいものだと思いました。

「 (仏映画「クロワッサンで朝食を」は)高齢女性の魅力にあふれた作品だ。...
主役の老婦人フリーダを演じるのが85歳の現在も第一線で活躍中のジャンヌ・モローだ。

 彼女が息を吹き込むフリーダは、自身の美意識に忠実で、シャネルのジャケットを普段使いで優雅に着こなす裕福な未亡人だ。...
ひとりの人間として、鋭い眼光でこの世と対峙する潔さと気高さがある。
過去の愛人をめぐり嫉妬を抱くあたりは、女性らしさも全く枯れてない。
彼女に向かって「お婆ちゃん」と呼びかけることに、ためらいを感じてしまうほどだ。

 本作に限らず、フランス映画は日本映画に比べ、高齢女性に与える役どころが格段に広い。...
映画「ポレット」も高齢女性が生き生きと輝いていた作品だ。

 翻って日本映画は、高齢女性をひとりの血の通った人間として描く意志が薄いと感じてしまう。
孫がいる祖母や介護が必要な老女といった役柄が多く、どこか型にはまっているのだ。...

 そもそもフランスでは、年を重ねた女性たちが生き生きと輝いていられる土壌がある。
男性陣は女性をいつまでも女性扱いしてくれるし、結婚しても夫婦共働きが基本なので、女性が家に縛られることがない。
だからこそ女性たちは、「妻」や「母」だけではなく、いつまでも「女性」や「職業人」であることも忘れないでいられるのだろう。
必然的に映画の中でも、多種多様な女性像が描かれていくのだ。

(この映画は)ちまたにあふれる型にはまった老女像に心の底で飽き飽きしていた(日本の)女性たちが、本当に鑑賞したかった作品だったのではないだろうか。
これからも洋画・邦画に限らず、多種多様な顔を持つ高齢女性たちの魅力を、さらにスクリーンで発見したいと願っている。」

(東京新聞系地方紙 2013年9月11日夕刊記事、映画ジャーナリスト 林 瑞絵「仏映画「クロワッサンで朝食を」ヒット」より)
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フランスでは年を重ねた女性たちが生き生きと輝いているとのこと。
この記事を読んで思い出すのが、フランスは先進諸国の中で今も人口が増えている稀な国であるということ。
そして、夫婦間の性生活頻度も日本に比べてずっと高いということ。
離婚しやすい「契約婚」といった制度が普及しているようで、婚外子の割合も高いという。
そして、子どもを持つほどに経済面でのサポートが手厚くなるうらやましい制度も持っている。

男性が女性をいつまでも女性扱いする土壌や、女性もいつまでも「女性」であろうとする文化が、夫婦が末永く男と女でいられることに通じているのかと思う。

将来の少子化が避けがたいことのように語られている日本において、人口増を果たしているフランスの有り様に学ぶことは多いように思う。