もし宝くじ1億円当たったら

1億円を個人宅で貰ったら、さぞ使い出があるだろうと思うのだが、

ついさっきまで、年末の仕事メールを書いていたから、

1億円じゃ足りないなあ、と、思ってしまった。

 

私は研究所に勤めているのだが、研究には、とてもお金がかかる。

実験室の撮影(インタビュー)が行われた時、装置の値段を聞かれたので、

「自分で設計・組み立てて1億だったから、1.5~2億位ですかね」と回答した。

後日、それがニコ動で公開されているのを見たら、

1億!― イチオク― この人軽く言ってる― 

価格観念w― 1億円あったら牛丼がぁ――

みたいなコメントが、ものすごい勢いで流れてた。

 

研究する時に実験装置から作るのは金がかかるのょ。わかってくれよ。

 

 

研究計画を立て、それが齎す社会貢献をアピールし、

日本にとって必要な研究であると主張して、文科省や経産相の競争的予算を獲得する。

そのためには、研究が素晴らしいことはもちろん、

現在の社会情勢や他の研究に比較したときの優位性ももちろん、

審査員の中の専門家達には、他者ではできない研究の自分だけの特徴部分を伝え、

時には文系の予算措置決定者にわかりやすく研究の重要性を伝えなければならない。

研究が素晴らしくても、相手(審査員)に伝わらなければ予算確保はできない。

 

**「太陽光発電のエネルギー変換効率が35%になります!」(←数値は適当です)

 「N大学のトップデータよりも一気に1.3%も向上しっ」(←これも数値は適当です)

 と書いても何のことやらだし、1.3%では大したことが無いと思われてしまう。

**「多くの日本企業や研究者たちが、10年で2%向上させたエネルギー効率を、

 一気に○○%も向上することができる」(←これも数値は適当です)

 「市販のソーラーパネルの変換効率は15%から20%」(←一応調べました

 「エネルギー変換効率が1%変わると、経済効果は年間XXX億円」

 と書くと素晴らしさが伝わるだろうか。

 

昔、日本語は言葉の種類が多く、私、俺、ぼく、拙者、あなた、お前等々

単語の選び方だけでも文章が大きく変わる。

だから、日本語は文学と詐欺に適した言語だと思う、と話したことがある。

 

ここまでが前フリね。

 

30代の終わり~40代の頃、研究計画書や提案書を書くのが苦手で、

上司(ランゴリアーズの上司)に添削して貰ったり、セミナーや講習会で学んだ。

マニアックな格調高さと、相手にとってのわかりやすさの両方が必要だと知った。

ただ「提案書の書き方」の講習会は、時に”偏屈な元大学教授”みたいなのが来て、

「研究内容が重要なのに、書き方テクニックで予算を取ろうなんてけしからん」

と、わざわざ質問時間に手を挙げてまで悪態をつくこともあった。

日本アカデミアが何時までも「一般人にはわからない素晴らしい研究をしている」

という態度で、社会や納税者たちの合意が得られないから、

(バブル崩壊で国が貧しくなったとたんに)予算を減らされてピーピーしてたのに

その社会アピールに努力を惜しんでどうするよ、と思うが、

ま、世代が違うのだろう。(←要は他人事としてスルー)

 

教科書を作り、大学院生ではなく学部学生の講義を受け持つことも増え、

相手の知識に合わせて説明することを考えざるを得なくなった。

入試で数学が必須でない大学では、理学部であっても

学生たちが偏微分ができる前提で講義を進めてはいけないし、

物理学科と化学科と、情報学科では説明の仕方が変わる。

医学部の物理学一般なんて、それ以上に気を遣う。

極端なことを言えば、留学生に日本語で説明しても始まらない。

 

伝えたければ、相手の知識量に合わせて説明する。それが大前提だ。

 

予算申請だったら、審査員たちがだれなのかを調べ、

その審査員たちのバックグラウンドを調べるという情報戦になる。

予算配分元の方針(5年後の実現を目指すのか、基礎研究で良いのかなど)

を読み込み、自分の研究の中から必要な情報をわかりやすく書き記す。

ある程度の時間と、労力を費やす必要がある。

 

**5年後の商品化か10年先(基礎研究)か、研究は両方の側面があるので

**どちらを説明に用いるか、ということだ。別にウソをつくわけではない。

 

これが普段の生活の、例えばママ友さん相手にもできるようになれば、

誰にでも好かれる良いお母さんになれたのかもしれないが、

実生活でやりすぎると、詐欺師になった気分になるからやっていない。

単にめんどくさかったからかもしれない。

 

年末というのに学術学会でちょっとゴタついて、どうにか収めたのだが、

同世代の関係者からのお礼のメールに

「こういう文章をパッと思いつく能力がうらやましい」と、書かれていた。

とっさに「場数が違うよ」と、思ったのだが、

言語能力・文章能力が要求される場にどれだけ居たかは専門や職歴で変わる。

教育中心だったり、大きな大学に所属していると、予算申請は重要でなくなる。

「報告書なんかで、苦労することが多かったのでぇ(^^;」

と、フランクに返そうかな、と思っている。

 

冒頭のインタビュー話題だが。

インタビュー内容が録画されているのは当然聞いていた。

録画されれば、どこかで公開されるのもわかっていたはずだ。

Youtubeやニコニコ動画で国の情報発信することも進んでいるし、

だから、

私の答えを聞くのが、取材元組織だけではなく、インタビュアーだけでもなく、

まして理系人間だけではない、不特定多数の一般の人たちってことを、

もっと考えて応えなきゃならないのかもしれない、と反省している。

 

文学と詐欺に適した日本語を使うときなら、なおさら。

 

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