バイオレンス学校映画というと、コロ先生の『暗殺教室』のはるか前に、
1955年に米国映画『暴力教室』があって、
1976には邦画で『暴力教室』があるのだが、
ひと昔もふた昔も前の私が中学生だった頃は、校内暴力真っ盛りで、
職員室の窓は頻繁に割られるわ、卒業式は私服の警官が待機するわの、
なかなかに劣悪な中学校にいた。
学校側の校則もエスカレートして、服装検査や持ち物検査
(男性教員による下着検査なんて、セクハラも良いところだ)
登校時間のチェックなども偉くうるさいし、茶髪の子(母親も茶髪)は
風紀を乱すという理由で黒く染めさせられてた。
髪を染める行為がいけないのではなく、黒髪でないのがいけないというのは、
帰国子女の私には全くもって意味不明だったが、
当時は教員たちの質も良いわけではなく、
生徒の質問に答えられなくなると、生徒をひっぱいて誤魔化す奴もいた。
大人のごっこ遊びだったのか、武田鉄矢のドラマにのめりこんで長髪にし、
子供を殴ったら、泣いて抱きついてくる感動シーンを思い描く馬鹿もいた。
自分のシナリオに従った行動をしないと、
捻くれてるだの親が悪いだのとキレる奴もいた。
(次々出てくるな、未だに恨みに思ってんのか、私は)
そりゃあ生徒側だって、窓ガラスを割りたくなるだろ、ってもんだ。
でも、登校拒否児だった私は、反発しながらも登校する連中も、
教師以上にわからなくて、かといって、我が家の親も登校しないと
(朝、家を出ないと)うるさかったから、
広い神社の境内や、大型病院の待合室に、静かに避難していた。
時々、保健室登校ならぬ、美術室(正確には美術準備室)に登校した。
卒業式の記憶はない。たぶん出席しなかったのではないかと思う。
その後、進学した高校の校則は、ただ一つ。
「高校生らしい行動と服装をすること」
……は? 高校生らしい服装とは?
この高校、そもそも制服ないじゃん、どーすんのよ。
美術部(アニメ研)の先輩に、1年生が複数人でぼやいたところ、
「君らは自由という名の刑に処されてるんやで」 ←なぜか関西弁w
「自由っていうのは、一番の束縛やぁ」 ←これも雰囲気だけ関西弁。
今思うと先輩たちも「倫理・社会学」で習ったばかりだったんだと思う、
「自由という名の刑」ってのはサルトルの言葉だったようだし。
そして「高校生らしい」というと、
逆に(当時は)ルーズソックスや茶髪になってしまいそうだが、
その辺を「考えて行動しろ」といわれるのは、
シンプルに禁止されるよりもめんどくさいものなのだな、と思った。
そのうち、中学の時(←要は2,3か月前)の制服で登校してきた子がいた。
「セーラー服かわいい♪ うちの学校、ブレザーだったんだ」
「着てみる?」
とか何とか、あっという間にクラスは制服ファッションショーになった。
そしてその結果(校則が変わるところまではいかなかったが)、
「他校(中学)の制服を着て登校しないように」との注意を受けた。
進学校だって、中学卒業したばかりの子供の考えなぞそんなもんだろう。
でも、私たちはいつの間にか、学校に着て行く服を決められるようになり、
そしていつの間にか私は、私は毎日学校に通う子供になっていた。
所属の大学にも、研究機関にもルールがある。
幸い、職場はよく考えられた最低限のルールとなっていて、
弾力的な運用ができるので、他の大学や研究機関から羨まれることがある。
規定、規約、内規などを作る時は十分時間をかけて、
その影響の範囲と可能性を考慮し、
法律専門の人に妥当性と内容をチェックして貰うなどしてから作る。
随時(毎月)規約の変更(文言や限定範囲など軽微なもの)の連絡が来る。
学校の校則って、そこまで真面目に作ってないよね?
だから、実態に合わなかったり、子供に突っ込みを入れられちゃうレベルの
トンデモ校則ができあがっちゃうんじゃないかなあ、と、
大人目線でふと。
なお、子供たちの小学校にもトンでも校則はあったようですが、
塾教員がうまくフォローしてくれて、
学校教師をうまくスルーすることができていたようです。
私立中学や高校は、それなりに考えられた校則になってる気がしました。