前回の記事の続きです。


日本では流産や死産をした人へのケアはほとんど行き届いていないのが現状のようです。

ただ、母のように、行き場のない悲しみが水子供養をすることで幾分か救われることはあるのかもしれません。


前回の記事では、私がアメリカで流産手術をしたときに、グリーフケアの案内を病院からいただいたことを書きました。


私が流産したことで辛かったことの一つは、日本の家族や知り合いの前では、ほとんど自分の気持ちを正直に話すことができなかったことです。

日本の仕事での知り合いにメールで流産したこと、これから手術することを伝えたところ(40代くらいの出産経験ありの女性です)、


「自分も稽留流産の経験があり、手術はそんなに大きな手術じゃないから大したことない」


というふうな内容の返信が来ました。


もちろん「大丈夫ですか」や「体を労ってください」など私を心配する内容も書かれていたので、手術前の緊張をほぐそうとしてくれたのかもしれませんが、

手術が大したことないと言われたことで、流産しても気丈に振る舞わないといけない、あたかも大したことないように返事をしなければならないという雰囲気が伝わってきて、ショックでした。



もちろん手術は大したことないのは知っていましたし、今、私の問題はそこではなく、心のケアなんだということをわかってもらえないような気がしました。

不妊治療を長年やってきたのもご存知の方だったので、なおさらそんなこと言うかな?と思いましたが、流産くらいでくよくよするなというのは男性の中でキャリアを積んだベテランの女性には正論だったのかもしれません。


まだ、「とても辛いだろうと思います」などの共感の言葉をかけてくれていたら違った印象だったと思いますが残念ながらそうした言葉はありませんでした。


仕事で仲良くしている別の女性とも、ちょうどビデオ通話をする機会があり、流産がわかった直後に話ましたが、

まず一言目の

「大丈夫ですか」

の質問に「はい、大丈夫です」以外のなんと答えればいいのかわからず、ただただ無心に「大丈夫です」と言っていました。


日本語には人が辛い時にかけるようなちょうどいい言葉がないのかもしれません。



アメリカ人に流産を伝えるとみんなが

「oh... I’m so sorry to hear that.」

と言ってくれました。これだけでいいんだと思います。


日本人はまずほとんどの人が

「大丈夫ですか」

と言います。私を心配してのことだと今では思えます。ですが、大丈夫じゃないですと答えが正解なのか、正直に自分の気持ちを話しても良かったのかわかりませんでした。


流産は誰にでもあり得ることだから、という雰囲気が流産を経験した人の悲しみや辛さを矮小化させているようにも思います。


さきほど書いた知り合いの女性からのメールからも、誰にでもありえることだから、という雰囲気を感じました。


そういう雰囲気からも、余計に辛さを口にできなくなりました。


そういう経緯もあり、アメリカでのグリーフケアの会合に行ってみようと思いました。



(次はグリーフケアの会合の話です)