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舞い散る花びらが、お別れを祝福してくれる季節。

Dr.マーク・ベイリーの「ウイルス学との別れ」の日本語版が完成しました。

 

本当にすばらしい内容になっていますので、要旨~第三部を通して、そして最後のあとがきまで、どうかじっくりご覧いただきたい気持ちで一杯です!

読み進めていく上では、以下の用語解説を参照していただくと理解が深まりますので、ぜひご活用ください。

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こちらの翻訳が終わるまで、動画の字幕付けもできなかった上に、想像以上に時間がかかってしまい、ずいぶんお待たせしてしまったと思います。

でも実際には、動画の翻訳をしていた時よりずっと長時間取り組んでいて、ほぼ毎日夜中の3時過ぎまで調べものをしてきましたが、それでもまだまだ足りず‥!やはり専門用語が独特で、相当勉強する必要がありました。

毎日こんなにも寝なかった日々は、20代以来です。

自分の職業柄、「こんな生活をしていては健康を損なうから絶対にダメ」と骨の髄から分かっていますが、でも人生をやっていると、たまに無理でもしないと前に進めない時があるのも分かっています。

私はこれでも、ハイパー電磁波過敏の体質なので、一日の許容時間を超えてくると、吐き気とともに全身に独特の震えが上がってきて、そのまま横に倒れるか、辛すぎて気を失うに近い状態で一日を終える時もあります。

ちょうどこれに取り組んでいる間、ガスのスマートメーター設置事件もあり、こうなったらついでにこの苦しみをバネにして次回こそ電磁波問題を取り上げないと!、と思っています。

また今回、この翻訳にちなんで、ちょっとしたハプニング(?)的なことがあったのをきっかけに、改めて色々なことも考えさせられました。


深く考えさせられたことの一つが、「どうしてこんなに偽情報が広まるのか?」という現象の向こう側にある、背景についてです。

一般人である一人一人の個人が、「意図的であれ、天然であれ、いずれにしても偽情報の流布に加担してしまう」という深刻な側面があるわけですが、

しかし、こうした嘘(↑)を暴こうとするコミュニティの中でも、まさにこれ(↑)と同じ縮図が展開されているという、皮肉のような現実があります。

ワクチンに反対するコミュニティ、偽パンデミックにモノ申すコミュニティ、そして「ウイルスは存在しない」と言っているコミュニティの中にも、です。

悪意があって作為的に誤情報を広めているわけではなく、それらを「良い◎」と思って広めてしまう天然パワーは、深刻な「誤り」を私たちの意識に強力に浴びせてくる無邪気なエナジーにあふれています。

そんな過ちも、一度や二度や、三度や四度ならまだしも、数えきれないほど何度も何度もやり続けてしまうというのは、「本当にこれ、何なんだろう?」と、改めて考えさせられました。

日本でも、世界と同様、人工ウイルスの偽情報が広まったり、抗体の免疫増強の物語が広まったりと、毎回ふっかけられるエサの種類が共通しているのは確かです。

しかし、今回痛感したのはそこではなくて、もっと根本的なところ、

人として、何かの歯車が狂っているという実態です。

たとえば、「ウイルスは存在しない」という情報を発信している日本のコミュニティでは、一時期「細菌も存在しない」というタイプの情報が流布されていたと思います。

一時期‥というより、つい最近まで「細菌も存在してないんだよね?」と本気で思い込んでいた人たちも、けっこういらしたようです。

どうしてそんなに大胆な誤解をしてしまうのか?という理由については、まぁいろいろあるとは思いますが、その大きな理由の一つが、「そういう情報を流す人がいて、それを信じる人がいるから」ですよね。

ひとつ、たとえ話をしてみます。

以前、Dr.アンドリュー・カウフマンやDr.トム・コーワンが出演しているインタビュー動画に、日本語字幕がつけられた動画が流れていました。その動画は、かなりの数が拡散されていたと思いますが、なんとそこには「ウイルスと同様、細菌も分離できません」といった趣旨を語る日本語字幕がつけられていました。

もちろん、そのインタビューでは、「細菌は分離できますよ」と説明されていたわけなんですが、そこにつけられていた日本語字幕は「細菌も分離できないんです」的な真逆の意味の言葉がつけられて流布されていたというわけです。

きっと、それを鵜呑みにして、右から左へ拡散してしまった方も、沢山いらっしゃったことと思います。

これが、本当にいい例だと思うのです。

一人一人が、そんなおかしな日本語に出会った際に、ちゃんと立ち止まれるかどうか?ということです。

「は?ヤバくね?」

と、正直に思えるかどうかです。

「この日本語、おかしくね?」と。

 

「マジ言っちゃってんの?やべーだろ、さすがに」と自分を信じられるかどうか?です。

私たちは、英語のプロではないものの、一人一人が日本語のネイティブで、日本語のプロフェッショナルなわけですから。だからこそ、「あ、なんか変な日本語訳ついてんな‥」と思ったら、自然と「これは拡散しないでおこう」と思えるくらいの最低限の脳ミソと節度は、本来は持っていていいはずだと思うのです。

たとえ、その画面に映っている人物が、信頼のおける外国人のようであったとしても、そこにおかしな日本語がくっつけられているのだとしたら、「どう考えてもおかしいだろ」と、立ち止まってみてもいいと思うのです。

 

それは英語が一切できなくとも、そこにある日本語から容易に理解・推測できることです。


今回のDr.マーク・ベイリーのPDFでいえば、あまりにも大量のおかしな日本語が乗っかっているような作品があったとして、それを平気で大拡散できるメンタルというのは「一体どういう心のメカニズムが働いているのだろう?」と、ものすごく考えさせられた部分でした。

ちょっと難しい専門用語が間違っているのは人間らしくて仕方のないことだとしても、いくつかのミスや意味の取り違えがあったとしても、あるいはもはや普通の間違い&勘違いも多々あって「うん、そういうクオリティなんだね」と受容するしかないとしても、だとしても、さすがにウイルスの定義が「寄生“虫”」だと書かれてあったり、真逆の意味に訳されていたり、読んでいて頭がおかしくなるような謎文が羅列してあるような素材を、何の躊躇もなく広められる一人一人のメンタルというのは、一体どういう風に成り立っているのだろう?と考えさせられました。

こういった、何かしらのヤバい日本語の素材がネット上にあった場合、それを平気で拡散できてしまう日本人の一人一人は、自分でその中身をちゃんと確認しているのでしょうか?

あるいは、書いてあること・載っていることを、理解した上で拡散しているのでしょうか?

おそらく、していないですよね。

理解していたなら、「やばくね?」と青ざめるだけですから。

あるいは、「理解してる・してない」以前に、「読んですらいない」というケースもあると思います。

では、「読んですらないもの、確認すらしていないもの、理解すらしていないもの」を拡散できる精神というのは、どういう心の成り立ちをしているのでしょうか?

中身を読まず、中身の正否を理解しないままに、「これ見てください」と他人に何かをプッシュできる人が、どうしてこんなにも集団で存在してしまうのでしょうか?

この問いこそ、偽情報の拡散現象の本質にあるもので、ウイルスや感染を信じている人とまったく同じタイプの心のメカニズムが働いているということです。

テレビで見たことをそのまま人に教える心理、「〇〇先生が言ってたから‥」とよく分かってもいないことを広めてしまう心理―・・、

 

崇拝している対象が、学者や政治家なのではなく、たまたま陰謀論界のカリスマだったというだけであって、両者の根本にあるのは同じ心理現象だったりするわけです。「あの人がそう言ってるんだから、広めておこう」的な。

 

もはや、自分で中身を確認したり、理解したりという主体性は介在してすらいないという現象です。

じゃあ、人は、なんでそんなことをやってしまうのか?

というと、それこそが自己顕示欲承認欲求に繋がってくると思います。

歪んだ心が、インスタントに一時的に満たされるものを求めた結果、それっぽいことをやってしまう・・・

 

という、衝動の根源にあるものは、取るに足らない承認欲求だったりするわけです。

 

しかし、この一見「取るに足らない衝動」が、社会全体に影響を与えるほどの誤情報・偽情報を広める原動力になっているのであれば、それこそ一人一人がそんな自分自身の心の動きに、もっともっと敏感に目覚めていく必要があると思うのです。

 

自分自身の心の在りように正直にフォーカスすることが、この社会全体の病を本質的に癒すためにも、大切なものだと思うからです。

 

一人一人が、このような自分自身の深い闇の部分が持つ「罠」から、いかに抜け出していけるか?という部分が、本当は最も大切なことなんじゃないかなと、今回ものすごく考えさせられました。

私たちが、これだけの嘘に共鳴してしまうのも、自分が自分に対して嘘をついている部分があるからこそです。

自分の中にある見たくない心の闇を隠そうとしたり、見栄えよく見せようとしたり、あるいはそのために少しでも人より上に立とうとしたりして、なにかしら自己欺瞞の種を内側に抱えているからこそです。

素のままの自分の在りようを直視するより、バツが悪いものを隠ぺいしてみたり、何かしら別のもので着飾ったりする方向にベクトルが向いてしまうのです。

するとその結果、権力ではないにしろ「権力に似た何か」をまとってみたり、名声ではないにしろ「名声に似た何か」で自己を補おうとしたりと、そのような欲求に突き動かされて行動するようになってしまうというわけです。

表面的には権力や名声に対して反骨精神を見せていたとしても、それと同じ質・同じバイブレーションのものを身にまといながら他人に誇示しているとしたら、非常に悲しいスパイラルに陥っているということではないでしょうか。

こういった、自分自身の腹黒い闇の部分がしかけてくる「自分トラップ」から卒業していくために必要なことは、自分が自分に対してどこまでも正直になり、自分の心の声に真剣に耳を傾け、数々の体験から学んでいきながら、そうやって呼吸をするように自分を信じる力を養うことです。

私たちは、この社会に溢れるいくつもの嘘から、なるべく一つでも多く目を覚ましていく必要がありますが、そんな中でもっとも巨大で残酷で、自分の心と体と魂を蝕むものとは、自分で自分についている嘘です。

自分自身を騙したまま、「真実に目を覚ます」ことなどできません。

いちばん大きな嘘に、騙されているわけですから。

世界の嘘から目が覚めていくように、自分が自分についている嘘からも目を覚ましていく。自分が自分にかけている催眠術の戯言から、自分を自由に解き放って、ありのままの自分を、自分に対して見せていくこと。


これを一人一人が、一歩ずつ確実にやっていくことができる時、この偽社会がつくっている嘘にまみれた「認知の壁」は、きっとようやく崩壊することができるのだと思います。(←ウイルス学の別れの「あとがき」と用語解説をご参照ください)

 

自分の人生のすべてを、そして自分の心の動きのすべてを、常に目撃してくれている唯一の証人が、自分自身という存在です。

 

そんな自分を少しでも騙しながら生きることほど、罪深いことはありません。

「私の心の在りようは、私がすべて受け止めて、全力で感じていくよ」

そうやって正直に生きていく中でこそ、人は本当の成長を遂げることができ、そんな生き方自体が、私たちを不幸にする全ての壁を自然と溶かしていく力そのものになっていくのです。


今回も最後までお読みいただいたあなたに、心からの感謝を。

 

 

Bio Sinfonia

 

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ありがとうございます。

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