植物における、という時期は


地球のメロディ-茎や葉

いわゆる、体験・経験にあたります。




それらの体験から、

どのような姿を咲かせるか


個々の資質と、成長力にかかっています。



同じような環境で生まれ育ち、

同じような葉のかたちを体験したとて、


それらの体験に伴って抱く 願い(=花の姿)や、

得られる 結果(=実の姿)は、


それぞれの植物によって違ってきます。



地球のメロディ-ツルボ


似たような環境で、似たような体験をしても、

その先に、全く違う結果があるのは、

それぞれが持っている、核なる資質に左右されるからです。




体験から、何をどのように感じ、

どのような思いを実現したいと願うのか?




わたしたちにも、幼いころから、周囲の人間や環境に培われてきた、

個人的な思考回路に依存する、心の反応パターンがあるように、

植物のタネにも、先祖代々 刻まれてきたパターンが、

組み込まれています。




厳しい経験から実らせた結果は、


己を守るという力なのか? 

周囲をも癒すという知恵なのか?




うりふたつの葉っぱたちの選ぶ道は、

紙一重なようでありながらも、
植物の場合は、タネの歴史に完全に忠実ですチューリップ赤




しかし、人間の場合は違います。




どんな花を咲かせ、どんな実を成らせたいのか、

自分自身の強い意思で、自分なりの結果を、

導き出す ことが出来るのです。




周囲の人間や、周囲の環境によって培われたものの中で、

自分の成長の足かせとなるような思考パターンに気付いたのならば、

それを、自由に手放してよいのですキラキラ




苦い体験をもとに、周囲に毒を配りながら生き表現するのも、

苦い体験を糧にして、周囲を癒す智慧を身につけるのも、

わたしたちの自由なのです虹




うりふたつの葉っぱから、全く異なる願いを咲かせ

それぞれ歴然とした違いのある結果を実らせる植物たちは、

自己の中心である、核に忠実ですしっぽフリフリ




言うならば植物は、真実の自己の中心である、

核を欺くような、余計なものを持ちません。




だからこそ、毒草でも、薬草でも、凛として美しい流れ星




わたしたちは、真実のわたしたちである核の周囲に、

様々な鎧をつけたり、武装したり、偽装したりして、

仮面をつけている。




自分でも気づかないうちに、

何かに操られたり、何かを操ったりする。


自分でも知らないうちに、

何かに執着したり、何かを縛り付けたりもする。




それは、ごくごく幼いころから、

周囲の人間や、周囲の環境に培われてきたものでもあるし、

その後、自分自身で育ててきたものでもある。




真実の自分自身である、美しい核を引き立て、

伸ばしてくれるものを大切にしながら、

自分自身を欺き、閉じ込め、縮こまらせるものは、

手放してよいのです。




それが出来たとき、人間もきっと、

今まで以上に、凛として美しいアップ




人間の花の咲かせ方は、植物よりも

ちょっぴり複雑に見えるだけなのです。




しかし、持っているものは、意外と同じ。




それぞれ



とてもシンプルで、美しいものです流れ星