年寄りの〝繰り言〟が止まらない | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

今日の午前中は京大病院で、心臓疾患のリハビリの一環として、エアロバイクを漕ぐ有酸素運動を行っていた。準備体操-エアロバイク-整理体操のコースで60分ほど。

 

 

 

そんなにきつい有酸素運動ではないけれど、このリハビリに参加している人たちは、何らかの心臓疾患を抱えている高齢の方が多い。もちろん、私もその一人ということになる。

 

リハビリ自体は、そんなに強い運動ではない。30分間ほど、ひたすらエアロバイクを漕ぐという有酸素運動だが、途中から、徐々に負荷が上がるようにプログラムされている。

 

月の退院後、通院でリハビリを始めた際に、我が家にもエアロバイクを通販で購入し、以来この3か月間、週に3回程度はエアロバイクで自分でも有酸素運動を行ってきたが。

 

 

 

さらに今日の午後は、歯医者さんへ行って、前回の診療で〝型取り〟をしてもらった入れ歯から、新しい入れ歯を本作成するため出掛けていた。

 

前回の診療で、一応の〝型取り〟が終わって、今日は仮に完成したものを実際に嵌めてみて、最終チェックという段階まで来た。これで2週間後には、新しい入れ歯が完成する。

 

なので次回は、今日〝仮に〟完成して、実際に嵌めてチェックしたものが、入れ歯としての完成作となるので、その場で最後の最後になる微調整をすることになった。

 

こうして午前も午後も、身体のメンテで動き回っていた。さらに明後日は、食道がんの定期検査で〝内視鏡検査〟が待っている。なんだか、すっかり病院と相性がよくなっている。

 

私自身の話はともかくとして、この間、ずっと気になっていたのだが、バスに乗った時にいつごろから「進行方向に向かって」立つようになったのだろうか。

 

もちろん、立っている乗客の全員がそんな風にしているわけではないけれど、京都市バスの場合、近年は特に出口のある前方で、バスの進行方向に身体を向けて立つ人が多くなった。

 

今日の病院からの帰りのバスもガラ空きだったけれど、運転席の横で進行方向に向かって立っている若い女性がいた。私より先に乗っていて、私が降りる時もそこに立っていた。

 

 

 

出口に近い場所で、進行方向に向けて立たれると、降りる客からすれば邪魔になって仕方がないのだけれど、ご本人はまったくと言っていいほど気になさっていない。

 

今日の場合など、あえて立たなくても、空いているのだから座れば良いと思う。すぐに降りるから立っている、という場合でも、もう少し出口から離れて立ってもよさそうに思う。

 

でも今日、出口近くにいた女性は、私より先に乗り、私より後から降りたのだから、すぐ降りるからそこに立っている、というわけではない。

 

この間、ずっと不思議に思っていたのだが、若い人が優先座席に座るのは、もちろん気が引けるとしても、後部の一般座席が空いていても、そこには座らず出口近くに立つ人が多い。

 

それも、進行方向を見るような体の向きで、念が入ったことに、2人がそれぞれ通路の左右のつり革を持って立つ場合など、降車のための通路を完全に塞いでしまうこともある。

 

それで降りる人が、体をひねって避けながら降りて行く。それなのに、邪魔をして悪いとも思わないのか、それが当たり前のように、避けることもなく立っている。

 

こんなことは、立っている若い人からすれば、いちいち目くじらを立てるほどのことではないのだと思う。でも、そういう人には、他の人の存在が見えなくなっているのだろうか。

 

〝邪魔をしている〟だけならまだしも、最近は〝泣いている赤ちゃんがうるさい〟と怒る人も少なくないそうだ。あんたも、お母さんを困らせるぐらい泣いていただろうにね。

 

だから京都市バスでは、あえて「泣いてもかましまへん」キャンペーンを行っている。バスの車内に、それを表示したキャンペーンポスターを掲示していた時期もあった。

 

いくら〝不寛容の時代〟と言っても、赤ちゃんは〝泣くのが仕事〟だし、それ以上に、貴方の立ち方や立つ位置が、他人の妨げになっていても、「知らぬ顔の半兵衛」なのにねぇ。

 

これもまた、所詮は年寄りの愚痴だと思うけれど。