「やさしい日本語」の必要性 | がいちのぶろぐ

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今日の午後、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体が、今年度に実施予定の研修を後援してもらおうと、他団体の事務局まで依頼のためお邪魔をしていた。

 

その研修は、先方の団体に所属する会員の方にすれば、直接に本業と関わるテーマからは少し外れるが、これからの時代を考えれば、今から準備をしておく必要があると思われる。

 

つまり、その団体に所属する会員の方々にすれば、ご自分の仕事・職場において、今後は、顧客である外国人と接する機会が増加すると考えられる。

 

だから、そのための考え方というか、コミュニケーションの道具の一つとして、「やさしい日本語」というものを知っておいてもらいたい、というのが訪問した趣旨である。

 

 

 

そのこと自体は、今日お会いした先方の団体の幹部の方々にも、随分と理解していただけたと思えるし、今後は研修の後援も頂戴できるような雰囲気だった。

 

これからの時代は、単に〝顧客サービス〟といっても、〝顧客の属性〟そのものが今までとは変化する可能性が強いから、それに応じた対応策も事前に考えておく必要がある。

 

コロナ禍の直前には、大型小売店舗では東京を中心として、日本の大学を卒業した外国人だったり、外国人留学生のアルバイトだったり、外国人の従業員を雇用し始めていた。

 

それが、コロナ禍でいったんは途切れてしまったけれど、またこのところのインバウンド需要の回復に従って、外国人雇用の機運というか傾向が起こり始めている。

 

だがそれ以上に、まずは〝日本語話者〟である従業員が、日本語を少し理解できる外国人顧客へ接客する際に、日本語でやり取りができれば随分と楽になる場面もあるだろう。

 

こうしたコミュニケーション方法とともに、最近はスマホのアプリ「グーグル翻訳」や、ポケトークなどのAI翻訳の専用機など、いろいろな機材の使用も始まっている。

 

ただ、こうした翻訳機でも、長い文章や、日本語に多い「同音異義語」の翻訳などでは、誤訳が起こることも珍しくない。これを解決するのも、「やさしい日本語」が有効なのだ。

 

ということで、今日も、そんな話をさせてもらったのだが、このお邪魔した団体の事務所は、なんと京都でも一、二を争う観光地の「清水寺」の最寄りのバス停の前にある。

 

 

(コロナ禍の前の清水寺地域/またこの状態が戻ってきている)

 

だから目の前の歩道は、バス待ちの大勢の外国人観光客と、ゴールデンウィーク明けのこの時期にワッと集中する、中学校の修学旅行生とでごった返していた。

 

いや、ごった返すというよりも、歩道がバス待ちの人の波で埋め尽くされて、通り抜けることもままならない。いっそ危険を顧みず、〝車道を歩こうか〟と思うくらいなのだ。

 

これは、嵐山の渡月橋周辺でも同様に起きていて、嵐電嵐山駅の周辺でも、車道にはみ出して歩く観光客で危険な状態になっている、と最近の新聞で報じられていた。

 

 

(先日通り掛った八坂神社も、修学旅行生が何組も写真を撮っていた)

 

要するに、オーバーツーリズム状態なのだ。だからここのバス停でも、ドッと降りてドッと乗り込んで、結局は満員状態のままである。しかも、キャリーバッグの持ち込みもある。

 

京都市は、市バス車内へ大きな荷物を持ち込むことを、止めるようにと呼び掛けているけれど、それは観光客自身も「わかっちゃいるけど、止められない」ということだろう。

 

そんなことで、今日の行き帰りも難儀はしたけれど、なんとかこの団体への訪問が終わった。

 

私たちが予定していた、〝後援をしてほしい〟という所期の目的は、概ね達成できたけれど、この行き帰りの状態を考えるだけでも、やはり「やさしい日本語」は必要だと思う。