グルメ番組のボキャ貧に思うこと | がいちのぶろぐ

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今日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌に、木俣正剛さんという元週刊文春・月刊文芸春秋編集長だった方の、面白い原稿が掲載されていた。

 

「食レポ番組の〝貧困ボキャ〟が深刻すぎる!伝説のB級グルメ本が『うまい』と絶対に書かない理由」と題された、飲食店のレポートにまつわる記事だった。

 

木俣さんは、「テレビはグルメ番組ばかり」だけど、「食レポのレベルが落ちている」から「視聴者に正確な食べ物の情報が伝わっている」のか心配だと言われる。

 

例えば、お昼の人気番組『ヒルナンデス!』では、ベテランのタレントだけでなく、「プロのアナウンサー」でも、「品川駅の(中略)美味しいもの紹介」がひどかったと言われる。

 

 

 

ベテランの人気アナウンサーまでもが、「うどんもちもち、あんかけとろとろ」とか、「美味しいお出汁」などと表現して、済ましているという。

 

また木俣さんは、「有吉くんの正直さんぽ」という番組で「エスニック料理店」に行った時も、「プルプル。いい香り」とか、「美味しい」以外にほとんど言葉が無かった、と言われる。

 

だから、台本が無ければ「タレントはこんなに語彙が少ない」のだろうか、と嘆きながら、「プロ意識で食レポに挑戦してほしい」とも書いておられた。

 

木俣さんだってマスコミにいた人だから、「テレビで扱う以上、お店のものをけなせない」ことは、ごく当然のこととして承知しておられる。

 

だが、「すべて『うまい』では、視聴者はなんの判断も」できないと言われる。つまり、「こんな番組を見て育つと、日本人の味覚も語彙も低下するばかり」だと考えておられる。

 

私などはまったくグルメでも美食家でもない、と言うよりも、〝お子様の舌〟の持ち主というか、〝バカ舌〟の人間だけど、この木俣さんのボキャ貧という意見に全く同調できる。

 

木俣さんは、一方でかつてのテレビ番組『くいしん坊!万才』では、レポーターの方が、「本当は誰もが美味しいと思う食材ではないことが伝わるよう」表現に工夫した、と言われる。

 

これに関しては、何かの折にレポーターだった山下真司さんが、「困った味の時には、『面白い味ですねぇ』と言うようにしていた」と話されていたのを、私も記憶している。

 

また木俣さんは、「サラリーマン相手の安価な店で、なおかつこだわりの味がある店を見つけて紹介する」記事を、「文春B級グルメ」として連載していた、と書かれていた。

 

 

この連載で徹底していたのは、「『うまい』『美味しい』という言葉を使わず、客観的に料理を紹介」することだったという。さらに、紹介する料理は「完食するというルール」だった。

 

こんな連載だから、「書き手も、文章にすべて味」があり、中には「日本中の米の種類と炊き方を実験して、その上で定食屋のご飯を実食、お店に作り方を聞く」という、つわ者もおられたそうだ。

 

ただこの辺りは、テレビのグルメ番組と週刊誌などの紙媒体での掲載では、やはり作り手の『作法』というか、作り上げ方におのずと違いが出て来るのは仕方がないと思う。

 

テレビ番組の場合は、放送に〝出す・出さない〟の選択は有り得ても、料理の中味や作り方などを突っ込み切れなかったり、時間的に妥協しないといけない場面もあるとは思う。

 

だからテレビで取り上げる場合には、雑誌や週刊誌のグルメ紹介や、単行本としてのお店紹介とも、また違った表現になるのは、これはこれで仕方がないかな、とも思われる。

 

 

 

この点、木俣さんもデータを示して、「『飲食業界』の廃業率は、1年後30%(生存率70%)、2年後50%(生存率50%)、(中略)10年後95%(生存率5%)」と言われる。

 

そんな中で、「文春B級グルメ」を基に単行本化し、そこに掲載された店は「900店の中で、調査可能なもの873店。 営業している店408、閉店した店465」だったという。

 

つまり「大体4対6」の割合で存続していたらしい。「文春B級グルメ」で良い店として紹介した店は、生存率5%どころか40%ほどが生存していたというのだ。

 

ただ、人気レポーター・彦摩呂さんが、あの一世を風靡した「○○の宝石箱や~」と言った時点から、テレビのグルメ番組はショーアップする方向へ変わらざるを得なかったと思う。

 

そんな中で、大阪ローカル番組ではあるけれど、「水野真紀の魔法のレストラン」(MBS系列)という番組は、グルメ紹介では案外シビアな側面を見せていると思う。

 

何よりも、クイズ王のロザン宇治原さんと、元・V6のメンバーで食の変態・長野博さんが、意外と歯に衣を着せないしゃべりと、豊富なボキャブラリーで評価していると思う。

 

木俣さんは記事の結論で、テレビのグルメ番組のように、ボキャブラリーの貧困過ぎる紹介を続けていれば、「味覚オンチと勘違い食通を増加させる」と嘆かれていたけれど。

 

この意見は私も認めるけれど、何もグルメ番組だけでなく、政治討論番組から最近のヒット曲の歌詞やバラエティ番組の内容まで、すべてに〝ボキャ貧〟現象が蔓延していると思う。

 

タレントがお店でひと口、口に入れただけで、まだ噛んでもいないし、飲み込んでもいないのに、「おいひ~」と言って終わらせる番組作りは、やはり無茶だと思う。

 

 

 

しかし、ボキャブラリーが貧困なのは、アナウンサーだろうがタレントだろうが、政治家だろうが何だろうが、みんなで〝揃って赤信号を渡っている〟状態だと思う。

 

木俣さんが指摘されるような、本格的なグルメ本やグルメレポートは、ある意味で1980年代当時だったから、まだ「初期だったからできた」ということであるかもしれない。

 

今では、グルメのレポート番組や〝時短料理〟番組などが乱立している中で、細かい差異などを重視した〝目新しさ〟しか求められていない状態だ、ということではないだろうか。

 

だからきっと、もう今では〝本物〟を求めているのではない、ということなのだろうと思う。