「日本仏教指南」という小冊子 | がいちのぶろぐ

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今週は天気がすっきりしないらしい。今日も、〝雨のち曇り一時晴れたり降ったり〟という具合で、変りやすい天気だった。だからどこへ出掛けるでもなく、引き籠もっていた。

 

それで、1カ月ほど前にお邪魔した西本願寺の向かいにある「龍谷ミュージアム」で、帰り掛けに、無料配布の小冊子をもらって帰ったのを思い出して開いてみた。

 

 

(龍谷ミュージアム)

 

持ち帰った時に気が付いたのだが、「日本仏教指南」となっていた小冊子は、表紙の右上に小さく「簡体字」と書かれていて、開くとしっかり中国語の冊子だった。

 

 

 

そうは言っても漢字で書いてあるわけだから、〝何とかなるワイ〟という横着な気持ちで、今日、中味にトライしてみたら、これがけっこうおもしろくて、ずっと読んでいた。

 

冊子自体は、仏教伝道協会という団体が発行されていて、44か国語ものバージョンが作られているらしい。だから、説明も特に中国の人だけが相手というわけではないらしい。

 

とにかく絵が多いからわかりやすいので、面白そうなところを拾い読み(?)してみた。それで、〝ここは〟というところを紹介してみたい。

 

まず「仏教禁忌=仏教寺院での注意事項」というページから。

 

 

 

「靴を脱ぐように決められたお寺では、靴を下駄箱に入れてから、お寺に入ってください」

「本殿(本堂?)に入るときは脱帽」「本殿では飲食禁止」「みだりに露出の多い服装はだめ」

 

 

 

そして「写真撮影の時にフラッシュは他人に迷惑になるし、写真撮影禁止のお寺もある。だから、写真を撮るときはお寺の人に尋ねてからにしてください」など。

 

ついでのように「神社の参拝の仕方」も書かれていて、鈴を鳴らし、お賽銭を入れてから、「二礼二拍手一礼」でお参りしなさい、と書かれている。

 

 

 

それから仏さんの紹介のページになり、「如来」「菩薩」「明王」などが絵入りで説明されている。

 

「如来」は仏さんの代表で、「悟りを開いた世界の人」であり、「釈迦如来」は「釈迦牟尼仏」のことだそうだ。その他に「薬師如来」「阿弥陀如来」「大日如来」などがある。

 

 

 

「菩薩」は出家前の「釈迦牟尼仏」の姿をしているらしい。それで、現在修行中の身で、いろいろと形を変えて世の人を教化する。「弥勒菩薩」「観音菩薩」「文殊菩薩」などがある。

 

 

 

「明王」は「如来」の教えを理解し、怒りの表情でもって世の人を仏道に目覚めさせる。密教では特に高い地位を占めている。「不動明王」「大威徳明王」「愛染明王」などが代表。

 

 

 

この後は「仏陀の教え」のワンポイント解説(私にすれば日本語であっても、ほとんどわからない)なので飛ばして、その後には仏教が影響を与えた「日本文化」の例が示されている。

 

まず坐禅(打座)。禅の曹洞宗の開祖・道元を紹介する時に、「只管打坐」という言葉で紹介されていたのを見たことがある。「ひたすら坐禅をする」という意味だったと思う。

 

 

 

その後は「茶道」。臨済宗を開いた栄西が宋に留学し、帰国時に中国から喫茶の習慣を持ち帰ったことが紹介されている。その後、禅寺で「茶礼」となり、それが普及したとも。

 

 

 

それからは、日本特有の「静寂」の美学が確立されて、精神性が高められ、今日の茶道になったという説明らしい。知らんけど。

 

次に「華道」。これは「花道」と書かれていて、〝意味が変わるがな〟と思ってしまった。〝誰が役者やねん〟という突ッ込みになってしまう。

 

 

 

それは冗談として、仏さまに供えるお花が芸術の域になったという。花は生命力を表すとして、仏教では古くから重視してきたそうだ。

 

室町時代初期になって、室内の飾りとしての位置を獲得した。それがさらに室町中期には池坊専慶などが出て、一歩進んで「華道」として確立した、などと書いてあるみたい。

 

また「庭園」は「日式庭院」というらしい。特に写真では、代表例として枯山水の禅の庭園が取り上げられている。

 

 

 

説明書きは長いけれど、私の理解の〝限界範囲〟では、平安時代の〝末法思想〟から来世を願う意識が生まれ、貴族はこぞって浄土式庭園を作った。

 

その後、室町時代には禅宗の影響を受けて、石と白砂でできた枯山水の庭園が現れた。禅の修行では自然との調和を大事にするので、修業の場にこうした庭が作られた。

 

こんなことが書いてあったのではないか、という程度に漢字を読み解けたのではないかと思う。知らんけど。

 

たまたま中国語版を入手してしまったけれど、英語版をもらって辞書を片手に読んでみたとしても、まずまずこのブログの中味と、大差がないことが書かれていたのだと思う。