「税」という漢字になったことから | がいちのぶろぐ

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「税」になったそうだ。「今年の漢字」が今日発表になり、清水寺では森清範貫主が、大きな和紙に揮毫した記事がニュースになっている。

 

 

 

「税」という漢字からまず思い浮かんでくるのは、「新語・流行語大賞」には、候補としてすらも、「減税メガネ」がノミネートされていなかったことだ。

 

どう考えても、今年では一番の秀逸な表現だったと思う。流行語大賞は「A.R.E」になり、これは関西でバカ受けしたけれど、〝漢字〟では、「虎」が残念ながら4位だったそうだ。

 

 

 

それにしても、この「今年の漢字」の場合は、どうもネガティブな漢字が選ばれることが多いように思う。昨年は、ウクライナの問題があったから「戦」だった。

 

オリンピックがあった年は、「金」という文字になることがある。一昨年の東京オリンピックがそうだった。だけどその前年の2020年は、コロナ禍で「密」が選ばれた。

 

ということだが、振り返ってっ見ると、2019年は令和になった年で「令」、18年は豪雪・地震・豪雨などが多発したから「災」、17年は北朝鮮の核・ミサイル問題で「北」。

 

それにしても今年の漢字の「税」は、ある意味、〝身につまされる〟ような話だ。以前に、「税」という漢字が選ばれたのは、2014年に消費税が引き上げられた増税の年。

 

そして最近は、「五公五民」という言い方が出始めている。サラリーパーソンの場合、給与総額から所得税や社会保険料などで、〝半分近くが天引き〟されるから、ということだ。

 

それに比べれば、江戸時代の殿様が農民から厳しく取り立てた時でも、せいぜい「四公六民」だった。だからそれを思えば、〝今の重税感は酷い〟ということを表現しているようだ。

 

さらに言えば、少子化対策を政府が打ち出したことと関連して、対策に要する費用を、何らかの税の形で国民から取り立てる可能性が、現実味を帯び始めている。

 

また、子どもが3人いる家庭の場合、3人目の子どもの大学にかかる費用は無償化、と言い出した。これは、2人しか子供のいない家庭との間に〝不公平感〟を生むだろう。

 

こんな時は〝傾斜型の配分〟にして、2人目の場合は国が○割負担、3人目なら○割負担とし、4人目からは全額無償、といったきめ細かい施策を考えることが必要だろう。

 

今の「減税メガネ」内閣は、とにかく出たとこ勝負というか、行き当たりばったりというか、思い付きだけで政治を行うから、実務を担う地方公務員の負担が増すばかりだ。

 

さらに例の「マイナ・カード」の、紐付けでのミスの調査結果も速報されていたが、総点検の結果は1万6千件の誤りが見つかった、というのだからどうにも救いがない。

 

人間が介在するコトは、必ずミスが付きものだから、それを前提としてシステムを設計しなければならない。ヨーロッパなどでの成功事例を、事前にもっと調査すべきだった。

 

とにかく急ごしらえで、人材を寄せ集めた感があるデジタル庁の発足だって、素人目に見ても〝無理やり〟だった。その上、担当大臣があの〝無茶ぶりマン〟だったことも災いした。

 

あろうことか、この方は〝次の総理大臣〟の人気投票では、いつも上位になっている。これは、私にすればため息混じりで〝何ともはや〟と言うしかないのだが。

 

さて、この先は軍事費を大盤振る舞いにする予定だから、いずれはそのための増税も待ち受けている。これでは、「六公四民」か「七公三民」になるかもしれない。

 

それでも国会議員には、旧・文通費に当たる、領収書なしに使えるお金が月に100万円入ってくるし、そもそも給与はすでに世界の国会議員でも随分と上の方だ。

 

そう言えば国会の党首討論で、当時の野田総理に向かってヒステリックに金切り声を張り上げていた方が、「議員定数削減と引き換えに」という言葉を発していたような気がするが。

 

もうどうでもいい。こんなふうに、政治や与党の悪口ばかりを書いても、とりあえず捕まることもなければ、闇から闇に〝消される心配〟もない国に生きていることを喜ばないと。

 

カナダに出国した香港人の周庭さんは、〝もう香港に帰らない〟と言っただけで、ひょっとすると命の危険が待っているかもしれない。そんな国が、隣国だという地政学的不条理さ。

 

ハイ、軍備にはいくらでもお金を注ぎ込むべきですとも、総理大臣閣下。本当に国民の命を守るためなら。それを裏金で抜いてしまったり、お友達の中抜き企業に渡さないのなら。