「聖地南山城」という展覧会に行きたいが | がいちのぶろぐ

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現在、奈良国立博物館において「特別展 聖地南山城 奈良と京都を結ぶ祈りの至宝」という展覧会が開催されている。

 

 

(展覧会に行かれた知人のSNSへの投稿より)

 

この展覧会には、「浄瑠璃寺 九体阿弥陀修理 完成記念」というサブタイトルが着けられている。

 

京都府の最南部・木津川市の「浄瑠璃寺」にある、国宝「九体阿弥陀仏」の内、2体の修理が完成したことを記念して開催されている、ということらしい。

 

 

(浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂)

 

先月上旬から始まって、ほぼ今月いっぱいの開催である。だから、何とか行っておきたいと思っているのだが、こう暑くては奈良あたりまで出て行く気が失せてしまう。

 

そんなことではいけないと思うのだが、いかんせん高齢者が無理をして出かけて、何かあればかえって迷惑をかけてしまう、という気もする。

 

すでに、割引入場券はしっかり確保しているのだが、さていつ出掛けようかと、考え中というところだ。

 

 

 

ところで、この〝南山城〟と称される京都府の最南部であり、奈良県と接するあたりについて、展覧会のホームページにも簡単に解説がされている。

 

それによると、「南山城が歴史の表舞台に登場するのは、聖武天皇の恭仁京造営」に始まり、「長岡京・平安京への遷都以降も南山城は新旧両都をつなぐ回廊的な役割」の地域だった。

 

京都が〝平安京〟として都となるよりも以前から、〝拡大された平城京〟の一部分として存在していた地域、と考えた方が良いのだろう。

 

そして時代は下って、「江戸時代には、各地で念仏を広めた袋中上人が晩年に瓶の原(木津川市加茂町)を拠点」としたという。

 

こうして時代によって表面に現れたり、地下水脈のように静かに受け継がれたりしながら、仏教の聖地のひとつとして続いて来た、ということだ。

 

だからこそ、〝仏教の聖地〟という切り口で、この地域を通史的に概観できる展覧会だから、是非にも行っておきたいと思っているのだが。

 

ところで解説文に出て来る「袋中上人」である。名前は聞いたことがあるように記憶するのだが、それほど強く印象に残っていたわけではない。なので、調べてみた。

 

江戸時代の浄土宗の学僧で、「仏法を求めて明に渡ることを企図し、渡明の便船を求めて琉球王国に滞在。滞在中に琉球での浄土宗布教に努めた」と、Wikipediaには書かれていた。

 

さらに「渡明の便船が見つからず帰国した後は、京都三条の檀王法林寺をはじめ多くの浄土寺院の創建や中興をおこなった」ということだった。なるほど「檀王法林寺」だったか。

 

 

 

「檀王法林寺」は京阪電車「三条」駅の向かい側にある、それなりに有名なお寺である。そのお寺の門前に掲げられている駒札には、次のように書かれていた。

 

「慶長16年(1611)に袋中上人が再興して、現在の名称に改めた」。これで、私もその名前をうっすらと記憶していた、ということだった。

 

 

 

「檀王法林寺」を再興した後、「72歳の冬より浄瑠璃寺の辺に移住したが、同じ相楽郡瓶原(みかのはら)という所に(中略)袋中は17日間参籠をおこなった」らしい。

 

出て来たぞ、展覧会の眼目である「浄瑠璃寺」の名前が。そして、「浄瑠璃寺」がある一帯は「瓶原(みかのはら)」と呼ばれていた。

 

これで、展覧会の解説文にある「袋中上人が晩年に瓶の原(木津川市加茂町)を拠点」とした、ということとつながって来た。

 

その後は紆余曲折があって、袋中上人の最晩年は「瓶原を出て、綴喜郡飯岡村(現在の京都府京田辺市飯岡西原)にたどり着いた」というから、南山城の中でも北の方に移っている。

 

この地で、現在の「西方寺」を再興して移り住んだということらしい。「西方寺」は、京田辺市飯岡の車塚古墳の近くの丘の上にある。

 

このお寺の説明では、「袋中山西方寺」という名前で、「開山は袋中上人」であり、寛永14年 (1637)の開基となっている。

 

そしてこの地で、寛永16年(1639)に亡くなっている。この時は88歳だったというから、86歳にして新たにお寺を再興していることになる。これも凄いエネルギーだ。

 

さらにWikipediaには、「袋中上人」についてこんなことも書いてあった。「袋中の沖縄での布教により始まった念仏踊りはエイサーとして現在も引き継がれている」と。

 

現在、沖縄の一大イベントである「エイサー・フェスティバル」なども行われているが、その起源は、琉球の尚寧王と知り合った「袋中上人」が、「念仏踊り」として始めていた。

 

「聖地南山城」という展覧会に行って、南山城地域の仏像や、仏教の姿を知りたいと思っていたが、調べて見たら、とんでもない方向に広がってしまった。

 

「袋中を開祖とする檀王法林寺開創400年」の2011年には、「沖縄県立博物館・美術館で『琉球と袋中上人展 - エイサーの起源をたどる』と題した展覧会」まで行われていた。

 

いやこれはどうも、という展開になってしまった。