「夏越の祓」の「茅の輪くぐり」 | がいちのぶろぐ

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月も早や最後の週になった。これで、今年も半年が過ぎる。ということは、すでに半年分の〝災厄や穢れ〟などが我が身に溜まってきている、と昔の人は考えた。

 

この、我が身に溜まった災いの源を祓い清めて、あらためて暑い夏を乗り切らねばならない。そんな大げさな、と思ってはいけない。昔の人は、こうして夏という災厄を生き延びた。

 

かつて、京都にとって梅雨から夏の時季は、災害級の出来事が起こった。梅雨の大雨では鴨川が氾濫するし、洪水が出た後は衛生状態が悪化して疫病=感染性の病気が流行する。

 

そこへ梅雨が明ければ、夏は盆地特有のじっとりと纏わり着くような蒸し暑さに、熱中症の恐れも高まって来る。エアコンのない時代、高齢者にとって梅雨から夏は大敵だった。

 

つまり6月末というのは、単に一年の半分が過ぎるというだけではなく、暑い夏を迎える前に生き延びるための〝気合〟を入れ直す必要があった。

 

 

(北野天満宮)

 

だから6月末には、多くの神社などで「夏越の大祓」として、「茅の輪くぐり」という〝夏対策〟の行事が準備されている。

 

ここまで半年分の災厄を〝祓い清め〟て、清浄な心身で夏を迎えようということだ。ただしこの行事も、一時期は廃れかかっていた。神様という存在が、相対的に〝落ちて〟いた。

 

だから神社で、例年通り「夏越の大祓」という神事を実施していても、「茅の輪くぐり」という行事に行く人が減った時期もあった。それが、最近はまた大復活を遂げている。

 

一つには、Z世代と呼ばれる若い人たちが、いままで知らなかった様々な行事などの存在を初めて知って、中味はともあれ〝イベント〟として面白がる場合があると思う。

 

もう一つは、外国人観光客が抱く興味とも共通していると思うが、日本古来の〝しきたりや伝統〟を見てみたいという楽しみ方、つまり〝観光〟というケースもあるだろう。

 

観光などと言っても、こうして人々にドンドンと消費されてゆくものかもしれない。それはそれで良いではないか、ということも言える。昔から、そんなものだったと思う。

 

 

 

ということはさて置いて、昨日は6月25日だった。毎月25日は北野天満宮の「天神市」が立つ日。それに加えて、昨日から「夏越の大祓」で「茅の輪くぐり」がスタートした。

 

だから私も「そこは、行くよねぇ」という気分で、早速「茅の輪くぐり」に出掛けた。早い話、私が一番ミーハーで、野次馬根性が旺盛なのだと思う。

 

往きのバスから、北野天満宮を通る路線は大混雑だった。外国人観光客も多いけれど、日本人の、それも若い人たちが随分大勢乗っていた。やっぱり、予想は当たっていた。

 

修学旅行の中学生もいれば、京都近辺に在住の中高生らしき人も多い。若い人たちも、「日曜日で、天神市の日で、茅の輪くぐりの行事」だから、出掛けてきたと思われる。

 

 

 

北野天満宮は、参道にずらっと露店の市が立ち並んでいる。いろんなお店を冷やかして歩く人や、食べ物を買い求める人、そしてお参りに向かう人でごった返していた。

 

まずは、楼門に巨大な「茅の輪」が掲げられていて、お宮へ入る人はこの「茅の輪」を、ヨッコラショという感じに〝またいで〟通る。

 

 

 

絵馬堂の前では、こちらも恒例になっている「猿回し」が、今日も大勢の観客を集めて、笑いを取っている。このお猿さんも、実に芸達者だと思う。役者やのう。

 

 

 

 

本殿に近付くと、小型の「茅の輪」をくぐるために長い行列ができて、順番待ちになっていた。ここの「茅の輪」は、通りぬけて右へ回り、舞い戻って通り抜け、今度は左へ回る。

 

 

 

つまり、「茅の輪」の周りを8の字を描くように、ぐるぐると3周回ってから本殿にお参りするのが正式なお参り方法。でも全員がそれをやっていては、待ち行列が伸びるばかり。

 

 

 

そう思ったから、私は8の字を一回描いただけで、本殿に向かって行った。8の字を描くことなく、単に通り抜けていく人もいる。それも、正しい対処法かもしれない。

 

「茅の輪」をくぐったから、それでいいだろう、という発想だって〝あり〟だと思う。なぜ3回ぐるぐると回るのかなんて、理由は誰にも説明できないだろうから。

 

 

 

ということで、本殿にもお参りをしたし、後は来た参道を引き返すだけだった。だって梅の季節だ、紅葉の時季だと、とにかく事あるごとに、天神さんにはお参りに来ているから。

 

 

 

菅原道真公も、きっと、もう顔なじみになってくれていることだろう。お賽銭の金額が少ないと、文句を言うような方でもないと信じている。違うかな?

 

それにしても、これだけの人が訪れて、お神籤やら御朱印やらお守りやらと、とにかく境内のあちこちで行列ができている。この集客力も、凄いものだと思った次第だ。