和田誠という方は、いったい何者だったのだろう。グラフィックデザイナーでイラストレーターだった、と言ってしまえばそうなのかもしれないが。
今日は、京都駅ビルの中にある「美術館『えき』KYOTO」で開催中の、「和田誠展」に出掛けていた。
和田誠氏(1936-2019)はグラフィックデザイナー、イラストレーターという言葉の説明の範囲で収まる方ではなかった。
作詞・作曲家から映画監督、エッセイスト、アニメーション作家、絵本作家、装丁家、さらにアートディレクターなど、幅広い分野で活躍されてきた。
それを今風に言えば、「アーチスト」とひと言で片付けてしまえるのかもしれないが、それだけでは、また違うようにも思えてくる。
今日も展覧会の入口では、ビートルズをはじめ多くのスーパースターたちが出迎えてくれた。会場の中でも、溢れるほど多くの有名人が顔を揃えて待っていてくれた。
彼の活動の広がり具合と、その過程で知り合い、交友関係を結んでいった広範な人たち。それは確かに、20世紀後半の〝日本文化〟そのものだったと思う。
この和田氏の、物心ついたころから毎年の移り変わりを、四面のそれぞれに示したポールが20本ほど並んでいた。
柱の各面には、それぞれの年の仕事や歩みの特徴をまとめて、人物史になっていた。これを見ると、亡くなられた2019年まで仕事をされていたことがわかる。
また会場の展示は、仕事をいくつかの主題ごとに分けて、それぞれの仕事の代表作を並べて振り返っていた。
ただしその仕事の主題が、あまりにも膨大なジャンルにわたっているから、壁面ごとに次から次へとテーマが目まぐるしく動いて行く。
ここには絵本があるかと思えば、こちらには宣伝広告のイラストがあり、ここには様々なポスターがあり、ここは装丁した書物が並べられている、といった具合だ。
さらに、奥さまの平野レミさんと、共同作業で作り上げたCDもあれば、もっとも圧巻だったのは、週刊文春の表紙を飾ったイラスト集である。
この文春の表紙は、40年間で2000号に達したということだ。普通であれば。これだけでも感嘆に値するが、それでも和田氏の仕事からすれば、ごく一部だっただろうと思う。
今日も、さして広くはない会場だけど、それでも美術展というには、随分多くの人が詰めかけていた。
世の中には、今では「文春砲」なる言葉まであるけれど、それ以前からズーっと長い間目にしてきた文春の表紙だ。
そして何よりも、すでに幽明境を分けた方が多いけれど、その人たちのほっこりとするような「似顔絵」を見ていると、まざまざと〝在りし日のその方の姿〟が浮かび上がって来る。
和田誠氏とは、やはり稀代の天才だった。今っぽく言えば、「ギフテッド」かもしれないけれど、明らかに20世紀後半から21世紀初め、時代を作り上げた一人だったと思う。