「つなげる」ための感性に必要なこと | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

「分ける」知性と「つなげる」感性なのだそうだ。今日配信のダイヤモンド・オンライン誌で、ちょっと視点の変わった、気になる記事と出会った。

 

「『分ける』知性と、『つなげる』感性 未知へのアプローチ 『感じる』ことを真ん中に」と題された、吉泉聡さんというデザイナーの方へのインタビュー記事である。

 

記事の中で吉泉さんは、「『論理的に考えること』が求められ、それこそが人間らしい『知性』だ」と考えられてきた、と言われる。

 

ただ「もっと直感的な心の『はたらき』である『感性』も、実は人間らしい『知性』と呼べるのでは」ないかと述べられる。

 

そもそも「物事を切り分け、分類し、分析していくことは、いかにも人間らしい『知性』の働き」であり、科学(science)も語源は「分ける」から来ているという。なるほどなぁ。

 

しかし「創造のためには、『分ける力』とは方向性の異なる『つなげる力』も必要に」なるだろうし、「それこそが『感性』のはたらきだ」とも言っておられる。

 

このように「感性」というものは、例えば、あえて分析などすることなしに、旧知の人をすぐに本人だと認識して、顔と名前を〝紐付け〟することができる。これも「つなげる力」だ。

 

また、香りを表すのに別の何かに例えたりするように、「既知の感覚を引っ張り出して、今まさに体験中のモノやコトとつなげる行為」も、「感性」によって行うことができる。

 

このように「分ける」、すなわち分析的に判断するだけでなく、「過去の感覚を使った体験によって生み出された『感覚の引き出し』」が、「感性」だということになる。

 

面白い見方ですねぇ。「感性を育むのは『どれだけ感じたか』という経験」に拠っている。だから「感覚の引き出しが豊潤であることが重要」だと説明されていた。

 

デザイナーという仕事なり、モノの見方・考え方とは、この「感性を育む=つなげる力を増やす」という経験の豊かさに他ならない、という考えに基づいているのかもしれない。

 

最近はビジネスの世界でも、少し中味は違うかもしれないけれど、この「つなぐ」というキーワードを目にすることが多くなったように思う。

 

DX(デジタル・トランスフォーメーション)の時代とは、「つながり」が基盤となって成立する社会のことだ。しかし、この場合の「つながり」は〝結ばれている〟状態を示す。

 

自分の中で〝何かを結び合わせる作業〟としての「つながり」より、もっと具体的に〝置かれている状態〟そのものを示しているだろう。

 

それで思い当たるのが、日本庭園での「見立て」という言葉だ。白砂が敷かれている部分は海や大河を意味し、自然石が二つ立てられていれば滝を意味している、といったように。

 

 

 この「見立て」こそ、「つながり」を作り上げる「感覚の引き出し」の有無を意味している。自分の引き出しに、滝や大河や海が入っていなければ、白砂と自然石にしか見えない。

 

だから吉泉さんは、「五感を複合させてみる。本を飛び出し、机からはみ出して、身体を動かして自分の感覚を起こしておくことが必要」だと言われる。

 

そして最後に、「『あらかじめ分野を越境している』のが身体であり、そこから生まれるのが感性」だと結論づけておられる。

 

「あえて言葉の世界から離れて、身体的な感覚に身を委ねる時間を増やす」とも。「感性」が豊かになれば、様々な「つながる」を手に入れることができる。

 

それは、これからの時代においては、DXといった固定化された「つながり」の概念を乗り越えて、もっと本質的な「つながり」を身に着けることの必要性を述べているのだと思う。

 

このテーマは、私にとってもう少し掘り下げて考えるべきテーマに思える。私が関わっている「やさしい日本語」を広めるための考え方と、何となく通底しているように思えるから。