デザイン思考を考える入口として | がいちのぶろぐ

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きょうの京都の気温は35℃だという。これはもはや〝残暑〟などという、悠長な言葉では済ませられないほどになっている。これも、異常気象ということだろうか。

 

ところで海の向こうの「#本物の国葬」は、着々と準備が進められていて、国民がお別れをできる機会も設けられるそうだ。しかもこの国葬は、国会の議決を経た行事ということだ。

 

ひるがえって、情けない「#くに、葬儀」は、国会の議決を経ることもなければ、実施の必然性の説明もなく、ましてや誰を招待するのかの基準すら、何も発表されていない。

 

だけど、現実的には国民の税金を使って実施されるし、「#くに、葬儀」のくせに、国民には〝弔意を求めない〟というのでは、「いったい何のための行事?」と思うのが普通だろう。

 

情けない限りだけれど、こんな政府を認めてきたのも、「#くに、葬儀」の主人公を長年月の間トップに据えてきたのも、すべてこの私たちが選んだことだ。

 

こんな不愉快極まりないことは、とりあえず無視するのが精神的には最も良いだろう。

 

それよりも、今日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌で示唆に富んだ記事を読んだ。その内容を、何よりも自分の記憶のためにも、書き留めておこうと思う。

 

「『絵で考える』デザイナーの力で、ビジョンやパーパスに血を通わせる」と題された、good design company代表の水野学氏という方へのインタビュー記事だった。

 

水野氏はまず、著作家の山口周氏の言葉として、「『役に立つ』から『意味がある』へ、モノの価値が変化している」ということを紹介されていた。

 

これが、「ものづくりが、デザインを欲するようになっている」理由だというのだ。換言すれば、「『文明から文化へ』の変化が起きている」とも言える、と述べておられた。

 

だから、「商品やサービスはもちろん、名刺一枚に至るまで、ユーザーとのタッチポイント全てがブランドを形成」する。これが、経営に〝デザイン思考〟が必要な理由なのだ。

 

「経営にまつわるデザインを大きく分けると、機能のデザイン、装飾のデザイン、そして、ブランドとして世界観を形作る意味のデザインの三つがある」と、水野氏は考える。

 

ただ私たちが〝デザイン〟という言葉と出会うと、〝私には、そんなセンスがないから〟という感覚になってしまいがちである。

 

そこを水野氏は、「デザインや芸術を理解する『センス』は、感受性と知識に分解できる」から、「先天的な感受性に、後天的な知識を掛け合わせればセンスは育つ」と励ましている。

 

何よりも、「異なるものをつなげることがイノベーションの本質だし、そのためになら、デザインは大きな力になる」と、デザインが果たす役割を端的に表現されている。

 

だから最近、企業経営で流行りのパーパス経営〟についても、「パーパスをただの『お題目』にせず、未来へ導く『地図』」にすれば良いと述べておられる。

 

それぞれの企業が、様々に考えた経営をする中で、商品やサービスを始めとして、企業が提示する「アウトプットに人を動かす力があるかどうか」がポイントだというのだ。

 

これこそが、「『意味がある』へ、モノの価値が変化」していることの現れ、ということだろう。

 

最近は経営の現場でよく聞く流行語だけど、〝デザイン思考〟とは何ぞや、という疑問を持たれる方も多いことだろう。いや、〝私がそうだから〟ということではあるのだが。

 

しかし今日の水野氏の解説によって、〝デザイン思考〟とは何ぞや、という疑問を解き明かしてゆく、極めて明快な入口になったと思う。