英会話と「やさしい日本語」の使い分けが肝? | がいちのぶろぐ

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昨夜お邪魔した「京都ランドリーカフェ」で出会った、英会話スクールの先生を仕事としているイギリス人男性が言っていた話が興味深かった。

 

 

 

彼は日本にそこそこ長く在住しているけれど、日本語があまり上手くない。その理由を、彼自身は〝日本語を使う機会が少ないから〟と言っていた。

 

たしかに月曜から土曜まで、朝から夜まで英語を教えていれば、仕事場での会話は英語が中心になる。午前から午後は高齢の男女、夜はオフィスワーカーが中心だと言っていた。

 

 

 

それにしても、高齢者(彼の言い方では「おじいさん・おばあさん」)といっても、きっと中高年ということだと思う。彼の語彙では、それが高齢者風の言い方になってしまうが。

 

「おじさん・おばさん」と「おじーさん・おばーさん」は、日本人の発音ならともかく、外国人にはこの〝言い分け〟が意外と難しいように思う。

 

中国の人や韓国の人と話をしても、注意して聞かないと「おじさん」が「おじーさん」になっていたりする。だから変なところで誤解したりする。

 

それにしても、そのイギリス人の英会話教師が言うには、3年前までは受講生が多かったそうだ。説明が上手くなかったけれど、特に観光関連の仕事の受講生が多かったという。

 

ところが一昨年のコロナ禍以来、こうした観光関連の受講生の数が急激に減ったそうだ。たしかに観光関連の産業は大打撃を受けていたから、英会話どころではなかっただろう。

 

 

(大混雑だった嵐山の「竹林の小径」も外国人の姿はチラホラに)

 

お店のお金で英会話を〝習いに行かされていた人〟などは、あっという間に消えていなくなったと思う。それどころか、そのまま無事に職場を確保できていたかどうか。

 

このイギリス人は、「でもダイジョーブ、来年からグーっと増える」と手の甲を斜め上にあげる。コロナ禍で外国人観光客が消えているのも、今年いっぱいだと考えていた。

 

受講生が減ったとしても、クラスの数が変わらなければ収入は同じなのか、受講生の総数で彼の収入が増減するのか、彼の契約形態は知らないから何とも言えない。

 

それにしても、彼のたどたどしい日本語と、私のたどたどしい英語を合算して考えると、とりあえず現状では彼の生活は成り立っているらしい。

 

 

 

それ以上に、観光関連のホテル・旅館、土産物店、飲食店などの従業員が、外国人観光客の増加を見越して、雇用者側からの要求で英会話教室に通っていたらしいことはわかった。

 

そういう事情があったとは知らなかった。もちろん、カタコト以上に英語が使える従業員がいてくれたら、雇用者側にとって便利だとは思う。

 

 

 

私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体では、以前、商店街の方などに向けた「やさしい日本語」のワークショップを実施したことがある。

 

その時にも、欧米系の旅行客よりもアジアからのお客の比率の方が高いし、その多くが英語はそんなに得意ではないという視点から、「やさしい日本語」での対応を伝授した。

 

その当時、アジアからの旅行者の中には、きわめて初歩的な日本語会話なら、英語よりも理解しやすい人が多い、と言われていた。

 

 

(商店街に方々向けのワークショップ/2019年1月)

 

だから、商店街向けに「やさしい日本語」ワークショップを行った。昨夜の英会話の先生が言うことも一理あるし、「やさしい日本語」と、ある程度の英会話の双方ができると有利だ。

 

小さなお店で、一人にあれもこれもは困難だとしても、「やさしい日本語」で対応できる人と、英会話で対応する人がいたら、この先も随分と便利だろうと思う。

 

昨夜は、そんなことを考えさせられた。それにしても日本に定住している外国人にとっては、病院や薬局、子どもがいれば保育園や幼稚園など、日本人と付き合う機会は多い。

 

日本人側が、ほんの少しだけでも「やさしい日本語」で対応したら、それだけで安心する外国人が多いことも事実だ。

 

昨夜も、アフリカからはるばるやって来た留学生は、〝日本語の会話〟を楽しんでくれていた。大学はまだしばらく、オンラインと学校での講義のハイブリッドだそうだ。

 

だから、日本語をわかりやすく話してくれると、とても嬉しそうなのが印象的だった。