次から次へと、よくもこれほどワイドショーを賑わせる話題が続くものだと、あきれるというか感心してしまう。
それにしても、先週末に北海道・知床で起こった遊覧船の事故は、〝痛ましい出来事〟としか言い表しようがない。残された方々が早く見つかりますように。
その一方、熊本県の高校のサッカー部のコーチが、部員に暴力を振るったとされる事件では、今度は先輩のサッカー部員が、新入生に暴力をふるった話まで飛び出してきた。
〝暴力〟は理由の如何を問わず否定されるべきことだし、指導という名目で〝暴力〟をふるうことはもちろん、〝暴言〟を浴びせることもまったく許されることではない。
そもそもスポーツの指導に〝暴力〟など一切必要がないし、自分の気に入らない行為をしたからと、指導者が〝暴力〟を振るうなどとはいったい何ごとかと言いたい。
それにしても、この間の私のあわただしさはいったい何だろうかと、自分でもよくわからなくなっている。先週の初めから明日まで、ほぼ毎日何か予定が入っている。
これでは、現役だったころとあまり変わらない状況ではないか、と思って見たりもする。
昨日の午後も、私が関わっている「やさしい日本語」を広める活動を、いつも熱心に応援して下さる方の紹介で、京都大学大学院医学研究科の准教授を訪問していた。
応援して下さる方の知人の准教授が、京都大学医学研究科の社会健康医学系という分野で、〝外国人が薬局に来られた際の課題〟について考えておられるというのだ。
(先日お邪魔した「京都ランドリーカフェ」のイングリッシュ・ミートアップ)
私たちもこれまで、病院で外国人と対応されている窓口業務の責任者の方から、外国人が来院された場合の対応について、いろいろヒアリングを行ってきた。
その上で考えてみれば、「薬局」という存在は、自分で病・医院へ行くほどでもないと思った時に、ちょっと立ち寄って店の人に症状を説明し、お薬を買い求める場所だ。
その時に、日本語があまり上手くないために、症状を伝えにくい場合はどうなるだろう。これは今まで、私たちも「医療〝関係〟機関」などと一括りで終わらせていたテーマだった。
しかし定住外国人にすれば、むしろ病・医院よりも身近で、かつ課題を抱えている存在かも知れない。そんなことで、昨日は2時間あまり准教授の方と話をしていた。
私たちは、自分たちが行っている活動を説明し、准教授の方からは、過去に実際に薬局と一緒になって、課題の洗い出しと解決策に取り組んだケースについて説明を受けた。
その結果、今年度から協働して何か新しい取り組みが始められないだろうか、というところまで話が広がって行った。
このテーマは、この先何か新しくて、実践に役立ちそうな取り組みが行えるような気がする。薬局で外国人が出会う困難さというか、課題をもっと考えてみる価値はありそうだ。