梅も見頃だったし早咲きの桜もあったし | がいちのぶろぐ

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昨日は、春に背いて一日中冷たい雨が降り続いていた。今日は雨こそ上がったけれど、真っ暗な雲が空を覆っていた。だから、遠出はあきらめて町中を少しだけ散歩した。

 

以前も書いたけれど、2週間余り前、散歩中に突如左のふくらはぎが痛くなった。それ以来、徐々に良くなってはいるけれど、まだ左足を少し引きずるような歩き方になっている。

 

このところSNSなどでも、京都の町中で梅が満開だとか、早咲きの桜が咲いたなどと、春らしい話題を聞くようになった。だから午前中に、町中を少しうろうろとしてみた。

 

梅の名所で有名な北野天満宮の梅苑は、もう見頃を過ぎた頃だと思う。取り立てて梅苑に行きたいわけでもなかったけれど、とりあえず上七軒の歌舞練場の界隈まで行ってみた。

 

 

 

 

 

 

とは言っても特に何の当てがあるわけでもなく、歌舞練場の前から北野天満宮の鳥居の横の、1本だけ満開になっていた梅を見ながら、天満宮は素通りをした。

 

 

 

 

そこからバスで堀川今出川まで舞い戻って、「一条戻り橋」のたもとで満開に花を付けている河津桜を眺めていた。一条戻り橋の南には、「堀川第一橋」という石造りの橋がある。

 

 

 

 

 

 

堀川通りから〝第一橋〟を渡って、少し東に行った通り沿いに「楽美術館」という、茶道の茶碗で有名な美術館がある。

 

 

 

 

千利休が、楽長次郎に茶碗を焼くことを所望したことから、千家と楽家の付き合いが始まっている。この楽美術館は、そんな楽家が保有する焼物や美術品を展示している。

 

 

 

 

 

 

また堀川通を北に行って、晴明神社に立ち寄ってみた。曇り空とは言え、今日からは3連休ということもあって、こちらはそれなりの人出になっていた。

 

 

 

 

せっかく来た以上は、何かのお願いがあるわけでもないけれど、まずは本殿にお参りをして、それから境内にある「晴明井」などを見てから帰った。

 

 

 

 

この晴明神社は、平安時代には安倍晴明の邸があった場所だけど、豊臣秀吉が天下人になってから作った居館「聚楽第」は、この神社の西側一帯だった。

 

 

 

そして秀吉の茶頭だった千利休は、この晴明神社の辺りに邸を構えていたらしい。だから、晴明神社に湧く晴明井で水を汲んで、茶を点てていたと言われている。

 

 

 

それと、特にどうという話でもないけれど、晴明神社の「二の鳥居」は二重の構造になっていて、二つ目は「四神門」となっている。鳥居の後ろに門がある、ちょっと変わった作り。

 

 

 

「四神門」には晴明神社のトレードマークの「五芒星」が描かれ、柱には小さな「青龍」や「玄武」など、四方を守る神の像が描かれている。だから「四神門」と言われている。

 

 

そうしたことなどもあり、細かく見れば「晴明神社」も面白いことは多々あるのだが、それはそれとして、今日は〝梅は咲いていたし、桜も咲いていた〟という散歩だった。