朝カフェで高齢者問題というテーマと出会ったが | がいちのぶろぐ

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昨日のブログで、12m×6mという大きな「涅槃図」を見たくて東福寺まで出掛けたけれど、修復中だったため別の涅槃図が飾られていて、残念ながら見られなかった話を書いた。

 

これはこれでその通りだったのだけど、実は午前中に東福寺へ出掛ける前に、京都市中京区の朝カフェ「おはようマチビト」に8時から9時半までオンラインで参加していた。

 

この中京区の朝カフェは、この間、リアル会場とオンライン参加が同時進行するハイブリッド開催というやり方で行われている。

 

 

それで、参加者全員の自己紹介が終わった後は、リアル会場とオンラインが、それぞれ別のグループに分かれて話をする、というシステムになっている。

 

リアル会場に集まった10人前後のメンバーは、自分たちが話したいテーマでワイワイと話をする。オンラインで参加しているメンバーは、オンライン上で集まって話す。

 

私はオンライン組なので、昨日の朝カフェでもオンライン参加のメンバーで集まって話をしていた。この場合、事前に話したいテーマがあれば、主催者に申請すればよい。

 

特にテーマがない場合には、提示されたテーマの中で、どれに参加するかを選んで、そのテーマが開かれているルームに入ればいいという方法になっている。

 

とは言っても、オンライン参加者はだいたい10人前後だし、その中で〝どうしてもこれを話したい〟というテーマを持って参加している、という人もそれほど多くない。

 

だから、事前に申請されるテーマはせいぜい1つ、2つあればいい方だ。そういう事情で、昨日も「高齢者問題」というザックリとしたテーマだけが出されていた。

 

私は、別に何かテーマがあるわけでもないから、「高齢者」の当事者として、そのテーマのルームに顔を出した。というか、オンライン参加の多くはそこに顔を揃えていたようだ。

 

オンライン参加の中の残る2,3人は、リアル会場の様子をもっぱら視聴するだけ、という状況を選んでおられたようだった。

 

そこでテーマとなった「高齢者問題」では、主として〝高齢者の引き籠もり解消〟という話と、〝認知症〟の問題が話題の中心になっていた。

 

いずれの話も、この場で1時間ほど話したからと言って、そこから何か解決策が生まれるような軽いテーマではない。むしろ、話せば話すほど〝深み〟にはまる中味を抱えている。

 

昨日も、話のメンバーには日ごろから認知症の問題と取り組んでおられる、社会福祉団体やNPOの方もおられたし、作業療法士の勉強をしている人もいた。

 

さらには、京都市内の大学でこうしたテーマで教鞭をとっている、という方までおられた。プロの方々から半ばプロという方などが、体験も交えて話題提供をされていた。

 

〝認知症〟そのものや、高齢による認知機能の低下という問題は、私自身も含めて、これからは避けて通ることができない。認知症患者700万人時代が来る、とすら言われている。

 

昨日も、高齢者がいつの間にか〝孤立・引き籠もり〟状態になって行くことによって、ドンドンと認知機能の低下を進行させる、という切実な事例の話題が出ていた。

 

その通りだろうと思う。〝高齢者の社会参加〟と言っても、〝ご近所付き合い〟が豊かな女性の場合はまだしも、企業を定年退職した男性は、いきなり社会から〝縁切り〟される。

 

特に、それなりの企業でそれなりのポジションを務めていた人ほど、その後に訪れる〝社会との縁切り状態〟の落差の大きさに、戸惑いを覚えることが多いだろう。

 

ずいぶん昔になるが、ましてある意味では冗談話なのだが、定年退職した人たちに〝それらしい名刺〟を持たせるNPO団体が必要ではないか、という議論をしたことがあった。

 

考えてみれば、その頃は、自分の問題として話していたわけではなかったけれど、自分が後期高齢者になってみて、これはある意味で〝正鵠を射た〟話ではなかったかと思う。

 

これから先、高齢化による「認知機能低下」という問題と、社会全体がどのような切り口で向き合ってゆくべきかは、避けて通れないというより、真剣に議論すべき問題だと思う。

 

特に大都市圏では、ケアマネから社会福祉士まで、関連する業界の人手不足が目に見えている。しかも、この人たちが収入面では恵まれないという現実がある。

 

このテーマに首を突っ込んだなら、簡単には抜け出せないテーマだと思う。昨日も、横で話を聞いているだけだったけれど、大変に重いテーマだということは身にしみて感じた。