何かのテーマに沿って散歩に出掛けている、とブログに書いた。それで昨日は、鷹峯にある「圓成寺」に出掛け、「洛陽十二支妙見めぐり」の「亥」の妙見さんにお参りをした。
この妙見さんは、「岩戸妙見宮」と呼ばれているかなり規模の大きな〝妙見宮〟だった。そもそもお寺の中に、「妙見さん」という北極星・北斗七星を神格化したお宮がある。
(「子/善行院」の妙見堂には鳥居が立っていた)
この在りよう自体が、神仏習合そのものである。だから、以前に「子/善行院」というお寺の「妙見さん」にお参りに行った時には、妙見堂の前に〝鳥居〟が立っていた。
神と仏の世界は、きっと私たちが思い込んでいるよりも、もっと自由奔放なものなのだと思う。そこら辺をどう解釈するかによって、宗派の違いがあると言えるのではないだろうか。
天台宗や真言宗といった護摩行を行う〝密教系〟の宗派もあれば、〝専修念仏〟の浄土宗や真宗、自己と向き合う修行の〝禅宗〟、現世利益を説く法華宗の諸宗派など。
それぞれの宗派が基盤を置く哲学は、宗派ごとに重視する「経」という名の書物の中に示されているのだろう。さらに、宗派を開いた偉大な先達が書き残した書物もある。
今日、出掛けていた「洛陽十二支妙見めぐり」の「寅/道入寺」は、洛北・修学院離宮の南西にあって、我が家からは比較的近い。
「修学院離宮道」というバス停から、山に向かって600mほども坂を上ればたどり着く。それほど大きなお寺というわけでもなく、本堂と向かい合って小さな祠があった。
この祠の台石に虎が彫られていて、周りに赤い幟が数本立てられていた。これが〝修学院の妙見さん〟こと「寅/道入寺」の妙見さんだった。
昨日の「岩戸妙見宮」と比較すれば、〝エッ!〟と一瞬は腰が引けてしまうけれど、この祠だって、〝北辰〟を祀る妙見さんなのだ。
何よりも、この「道入寺」の辺りまで上って来ると、比叡山が間近に迫っていて、山裾という感じを強く持つようになる。
昨日の「亥/圓成寺」は鷹峯の山々に囲まれ、それこそ京都タワーよりも標高が高い場所だから、京都の町を見下ろすという感覚だった。
今日の「寅/道入寺」は、さすがにそこまで高い場所ということではないけれど、それでも山懐へ向かったという気持ちにはなった。
ここから北東には修学院離宮も近いし、南東には比叡山延暦寺が本山の天台宗の門跡寺院・曼殊院も遠くない。修学院離宮の北側には、比叡山への登山道になる「雲母坂」もある。
さらに「道入寺」の南側には、この修学院一帯の産土神である「鷺森神社」もある。つまり比叡山麓のこの一帯には、史跡・名勝が数多く立ち並んでいる。
だから今日も、ついでにと言えば失礼になるが、南側にある「鷺森神社」にも立ち寄った。ご近所ということで、直線距離にして300mほども離れているだろうか。
実は私が高校生のころ、当時の京都市の公立高校は、厳密な「小学区制」を敷いていた。住んでいる場所で、通うべき公立高校が指定されるという制度である。
それで私の家と、今日歩いていたこの修学院地域とは、同じ高校の校区に当たっていたから、この付近には当時の同級生の家もあった。だから、地域の状況はある程度予想が付いた。
鷺森神社にも、何時とははっきり記憶していないけれど、大昔に来た記憶がある。とは言えお参りに来たわけではなかった。〝通りかかった〟という言い方が正しいだろう。
今日は改めて、初めてのお参りということになった。緩やかな坂を上り詰めたところに、さほど大きくない社殿が鎮座している。
神社の由緒書きに依れば、やはり江戸時代初期に後水尾天皇が修学院離宮を建てるに際して、離宮の予定地内にあった神社が、この場所に社地を賜り遷座したと書かれていた。
この神社がある〝鷺の森〟は、かつては下鴨神社の〝糺の森〟、藤森神社の〝藤ノ森〟と並ぶ、〝京の三森〟とも称された場所だったそうだ。
今では周囲に住宅が立ち並んでいるけれど、この鷺森神社の周辺には今も森が残り、この森を巡る道をたどれば、南東にある「曼殊院」にも通じている。
今日は、この「鷺森神社」にお参りをすれば、その後は帰宅するつもりだった。社務所に据えられていた、お神籤の〝自動販売機〟に100円を入れてお神籤を手に入れた。
何気なくその場で開いたところ「大吉」と出た。何だか、それだけでラッキーな気分になった。参道の坂道にある何本かの梅も、少しだけ開花を始めていた。
こういうこともあって良いだろう。それでも1時間余りの散歩になった。