紅葉見物に駆け回った11月も | がいちのぶろぐ

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このところ散歩と称して、京都の紅葉の名所巡りと、〝古寺巡礼〟を兼ねたような出歩き方をしてきたような気がする。

 

それにしても、カレンダーにメモとして書き込んでおいた記録を見れば、10回以上もこうして出掛けていたようだ。〝ようだ〟などと他人事のように言っているが。

 

町中散歩の京都御苑から、山間部の栂尾高山寺と高雄神護寺、町外れの山科の毘沙門堂まで、11月はまさに北へ東へと駆け回っていた。

 

(高雄神護寺にて) 

 

とは言え、京都市内では比較的南部になる、紅葉の超有名スポットの「東福寺」は、紅葉を迎える前に方丈のお庭見学には出向いたけれど、紅葉の時期の見物は敬遠した。

 

同様に「永観堂禅林寺」も、さすがにこの時期に行くのはあきらめた。2,3年前には、「高台寺」の夜間ライトアップとプロジェクションマッピング見物に行ったこともあったが。

 

フェイスブックを見ていると、知人が「東寺」などのライトアップの光景を投稿しておられるのを目にすることもある。また鷹峯の「光悦寺」の紅葉の写真も見かけた。

 

 

(山科・毘沙門堂にて)

 

以前、高校の総合学習のお手伝いをしていたころは、秋になれば1度や2度は嵯峨・嵐山に出掛けていた。と言っても、高校生が観光客にインタビューする際のお供だったが。

 

それでも、自分ではなかなか行きにくい奥嵯峨・鳥居本の鮎茶屋「平野家」や、「愛宕念仏寺」「二尊院」「常寂光寺」などにも、毎年のように出掛けていた。

 

むしろこうして出掛けていたので、あえて他の紅葉で有名なスポットまで見物に行こうという気にならなかった、というところもある。

 

 

(上高野・蓮華寺にて)

 

それも、考えようによれば贅沢な話かもしれない。なんだかんだ言いながらも、堂々と紅葉スポットを見物するために出歩くことができていたのだから。

 

その時に一緒に行った高校生たちも、今はほとんどが大学生である。そうした若い世代の人たちは、今さら紅葉見物でもあるまいと思うが、今年は着物姿の若い女性を大勢見かけた。

 

それもこれも、コロナ禍が急速に下火になってくれているからだ。この間、週に1,2回は京都市の新規感染者がゼロ、と発表されるようになった。

 

 

(京都御苑(御所)にて)

 

もっとも、これからインフルエンザ・シーズンの乾燥した冬季を迎える。さらに、新たなコロナの変異株〝オミクロン〟が、この数日間で注目され始めている。

 

だからようやく再開した海外からの流入の緩和政策が、明日からはまた急ブレーキがかかるらしい。なんとも厄介な2年間になってしまった。

 

今日の午後にあった、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体のオンライン・ミーティングでも、やはりこの渡航制限の緩和と引き締めが話題になった。

 

特に技能実習生の受け入れに際して、この間の渡航制限で出発地にいるまま足止めになっている実習生への対応の問題が、徐々に問題化してきている。

 

先方は早く日本へ来たいし、日本側もその労働力を〝当て〟にしているところがある。ところがこの状態で動きが取れなければ、どちらもが苦しむことになる。

 

この制度は今もなお賛否両論があるし、受け入れることに否定的な側面もあることは事実だけれど、こうした形で働き手を確保する必要があるのも、また日本の現実である。

 

なんとも難しい局面になってきている。それもこれも、〝にっくきコロナ〟ということになっている。