小鍛冶宗近を巡る散歩に | がいちのぶろぐ

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今日の午前中、ちょっと変わったというか面白いところへささやかな散歩に行っていた。京都市営地下鉄東西線に「蹴上」駅という駅がある。

 

この駅のすぐ近くには、琵琶湖疏水の「インクライン」という、疏水を通って来た船が落差のある場所に差し掛かって、ケーブル式の台車で上がり降りをしていた場所がある。

 

(一昨年の春のインクライン) 

 

今では桜の名所として知られ、近くには南禅寺もあるので、一昨年までは大勢の観光客が押し寄せていた。そんな「蹴上」駅の横には、老舗のウェスティン都ホテルもある。

 

この「蹴上」駅がある三条通は、かつては国道1号線だったし、江戸時代までは東海道として旅人が行き交う道だった。

 

その東海道を京都目指してやって来た旅人が、京都の町中に入る直前にある神社が「粟田神社」である。今日はこの粟田神社の周辺を、ぶらりと散歩をしていた。

 

「蹴上」駅を出て、ウェスティン都ホテルの前を通る三条通の緩やかな坂を下る。しばらく行くと「佛光寺」という看板とともに、左手に立派な三門が見える。

 

 

 

三門へ向かうと、すぐに山が迫っている。清水寺から八坂神社、知恩院と続く有名な観光スポットの、北の外れとでも言うべき位置になる、粟田山の山裾にこのお寺はある。

 

 

 

このお寺には、「御廟(おたまや)」という不思議なお堂がある。駒札には、「親鸞聖人のご真骨をご安置するお堂」と書かれている。親鸞聖人の娘の覚信尼が、ここを御廟所とした。

 

 

 

 

そしてその「御廟」と向かい合うように、「小鍛冶宗近之古跡」と彫られた石碑が立っている。

 

 

 

 

粟田神社の周辺には、古くから〝刀鍛冶〟が集住していたという。そして10世紀の末頃には、彼らの中でも特に優れた刀匠として、「三条小鍛冶宗近」が知られていた。

 

時の一条天皇はこの小鍛冶宗近に〝御剣〟を打たせようとされたが、その時宗近には良い〝相槌〟がいなかったらしい。

 

刀鍛冶が作業をしている映像などを見れば、刀匠の向かい側で、トンカンと大槌を振るう弟子のような存在を見ることが多い。

 

これが〝相槌〟という存在であり、刀匠と息を合わせて槌を振るう。ここから「相槌を打つ」という言葉も出ている。良い相槌がいなかったら、優秀な刀匠でも困ってしまう。

 

そんな時に宗近の前に不思議な童子が現れて、「相槌を務める」と言ったらしい。この童子は、宗近が信仰する稲荷大明神の〝狐さん〟だったという。知らんけど。

 

そして宗近は、無事に素晴らしい〝御剣〟を打つことができたという。今に至るまで、宗近が鍛えた名刀として「子狐丸」という名前が知られている。

 

ということで、この「宗近之古跡」という石碑を振り出しに、今日は「宗近詣で」をしようという気分になったのだ。

 

この石碑を後にして、「佛光寺」の前の細い道を少し西へ進むと、粟田神社の「二の鳥居」と出会う。掲額は「感神院新宮」となっている。粟田神社じゃない?

 

 

 

 

脇に立つ駒札に由れば「江戸時代までは感神院新宮、あるいは粟田天王社」と呼ばれていたらしい。ということで、粟田山の中腹目指して石段を一気に上がって行く。

 

 

 

 

やや息が切れたところで、神馬の像に迎えられて境内に着く。社務所の前には面白いものが並んでいた。

 

まずは「剣鉾の絵馬」。この粟田神社の祭り「粟田祭」は、〝祇園さん〟八坂神社の祇園祭と〝微妙に〟連動している。祭神はどちらも「牛頭天王」である。

 

 

そして、粟田神社のお祭りでは神輿を先導して数多くの「剣鉾」が練り歩く。祇園祭の先頭は「長刀鉾」が務めるが、それと一対を成すかの如くである。

 

 

(粟田神社「粟田祭」の剣鉾)

 

種明かしをすれば、三条小鍛冶宗近が打った「長刀」が、長刀鉾の穂先に飾られている。そういう因縁めいた話もある。今月24日の粟田祭は、縮小気味ながら剣鉾も出るらしい。

 

次に「京都刀剣御朱印めぐり」のポスター。刀剣女子が増えたらしいけれど、名刀とそれに縁がある4つの神社がコラボして、限定版の御朱印を授与するという。

 

 

 

粟田神社以外の神社は、建勲神社・豊国神社・藤森神社となっている。4社の御朱印を集めると、真ん中に刀の鍔の形ができ上がるようになっているそうだ。ほえぇ~。

 

社務所の横の能舞台には、昨年の粟田祭で使われた「大灯呂」が飾られていた。この「大灯呂」は、粟田神社の麓にある「一の鳥居」脇の駒札に、詳しい説明が書かれていた。

 

 

 

 

ということでまずは本殿にお参りしてから、横に祀られている「北向稲荷神社」へもお参り。

 

 

 

ここがあの宗近の相槌を務めた〝お狐さん〟とユカリのお稲荷さんということになる。ただし、刀鍛冶に稲荷信仰があったので、粟田神社の近くにはもう1カ所の稲荷社がある。

 

 

 

 

ということで、粟田神社から麓へ降りて、最初にくぐった「二の鳥居」のすぐ脇にある「鍛冶神社」へお参り。小さな祠だけだが、鳥居代わりの石碑のような結界が面白い。

 

 

 

 

また明治天皇御製の和歌もあった。そして、二の鳥居のさらに下にある「一の鳥居」へ。こちらには「粟田神社」という掲額。

 

 

 

この粟田神社と三条通を挟んだ向かい側に、そのものずばりの「合槌稲荷明神」が祀られている。このお稲荷さんの辺りで、小鍛冶宗近が刀を鍛えていたらしい。

 

 

 

とは言えこのお稲荷さんは、進んで行くのに勇気がいる。何しろ、よそ様のお宅という路地奥になっている。それも鍵形に曲がって。この路地の突き当たりに小さな祠があった。

 

 

 

ここが今日の散歩の終点なのだが、とにかく「三条小鍛冶宗近」と「粟田神社」を巡る、地下鉄の駅一つ分だけというささやかな散歩だった。

 

 

それでも季節外れの〝真夏日〟らしく、メタボの爺さんはしっかりと汗をかいていた。