自動車を購入したという知らせが | がいちのぶろぐ

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このところ、何かを考えようという意欲が湧いてこない。頭の中が低空飛行を続けている状態だ。

 

ところで23日前に、千葉都民の娘の家族からグループLINEが届き、旦那さんから自家用車を購入したと知らせて来た。娘も、これで帰省が楽になると書いてきた。

 

 

 

孫娘も中学生になったから、JRなどはもはやいっぱしの大人料金になってしまう。4人家族が東京―京都を往復すれば、延べ7人分(豆台風くんは半人前として)が必要だ。

 

それだけでも、新幹線の出費はザックリ言って10万円かかることになる。東名・名神高速を使い、ガソリン代を考えても、さすがにそこまでは掛からないだろう。

 

だから、自家用車での異動となればまず経費削減になるし、新幹線の予約などを考えるなら、移動に関する自由度も増すから、帰省もしやすくなるだろう。

 

思い返せば私は20歳で免許を取り、その後しばらくして自動車を手に入れたから、結婚して子どもが小さかったころは、どこに行くのも自動車が重宝したものだった。

 

しかし60歳になったころには、もはや子供も全員独立し、特に自動車がなければ困るという生活でもなかったので、自動車を手放してしまった。

 

それ以来、特には自家用車を持ちたいと思うこともなかった。むしろ、車の運転そのものが疲れる作業だと感じる性格で、鉄道やバスの旅を好む人間だった。

 

というか、きっと本質的に車の運転があまり好きではなかったのだと思う。だから70歳を迎えた時には、運転免許もきっぱりと返上してしまった。

 

ただ車がなければ、日常生活そのものがきわめて不自由になる地域も少なくない。むしろ高齢者が多い地域に、日常生活に車が欠かせない場所が多いように感じられる。

 

それを思えば、私などは京都市という〝程よい〟感じの大都市圏で、偶然に長く生活できている。そのことを親なのか天なのか、誰かに感謝しなければいけないだろう。

 

昔、我が家にも自家用車があったころは、自動車税や任意保険などを計算すれば、それこそ京都市内でタクシーに乗り倒しても、まだその方が安いというくらいだった。

 

たまには仕事のために自家用車があったほうが便利だ、ということだったから、とりあえず自家用車を保有していた。そんなことだから、あっさりと自動車を手放すことができた。

 

池袋暴走事故を引き起こした、今では90歳になる元・通産省工業技術院長だった被告は、上告は断念したらしいが、あの事故当時でもよく車を運転する気になったものだと思う。

 

むしろ85歳を過ぎてまで、車を運転しようという気持ちになることが、私には理解ができない。それはその人の性格として、運転や車のメカニズムがよほど好きだからなのか。

 

それとも〝便利〟とか〝進歩〟とは、こういう年齢になっても運転できるシステムがあるという、〝技術信仰〟に凝り固まった人間だったのだろうか。

 

他人のことはわからない。けれど、私の娘の家族はいろいろなことを秤にかけた上で、購入することのメリットを選択した。ただこの先は、無事故を祈ることになる。

 

持ったら持ったで、それもまた心配事の種になる。まあ、免許も返納した私は、間違っても〝暴走爺〟にはならないから、自分なりに最低限の安心感はある。

 

何よりもコロナ禍に早く決着が着いて、娘の家族が気兼ねなく帰省できる日が、一日も早く来てほしい。それがジイジには一番の願いだ。