「僕は嫌だ」と言える間に | がいちのぶろぐ

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コロナウィルスの陽性反応の人数と、オリンピック開催の間に因果関係があるかどうか、私にはわからないけれど、オリンピックの開催後に首都圏の陽性者の人数が急拡大した。

 

オリンピックまで〝やっている〟くらいだから、もう何をやっても大した問題ではないのだろうと思うくらい、若い人たちが自粛などと言う行為を放棄したのだろうか。

 

それどころか、オリンピックが無観客で開催されていても、その競技会場の近くでは、会場の〝建物〟を見物するために、多くの人出があるという報道も見かけた。

 

何がしたいのか、私にはまったく理解が不能である。さらに、緊急事態宣言でまたまた飲食店での飲酒が禁止になっているから、多くの若者が公園などで飲酒しているらしい。

 

〝家飲み〟では面白くないとか、やっぱり人と〝つるんで〟いたい、という若い人も多いのだろう。だから、とにかく公園や路上で缶入りアルコールを飲むことになる。

 

公園や路上でのこうした飲酒に対する制御は、もはやまったく不能に陥っていると思っても良いのだろう。むしろ、取り締まる根拠などはないということだろうから。

 

こんな状況に対してダウンタウンの松本人志さんは、若い人たちが政府に対してデモを行っている、と表現したらしい。言い得て妙というか、確かにある種のデモかも知れない。

 

自分たちの〝政治的主張〟を行動で表現するという点において、この飲酒行為自体がまさにデモンストレーションなのだ、と言っても良いだろう。

 

緊急事態宣言という名の〝飲酒禁止〟という政府の措置に対して、それを否定し実態を無くする行為として、路上や公園で集団での飲酒を行うという抵抗である。

 

しかしこうして抵抗している層が、最終的に自分たちの意思表示の場である選挙では、投票所に足を運ぶ可能性は小さい。いや、小さいだろうと政府は高を括っている。

 

つまり抵抗しているような雰囲気を感じさせる行動ではあっても、その行動自体に政治性が薄いから、放置しておいても大丈夫だという判断になっている。

 

結局のところ、若者は政府に舐められているのだ。なんだかんだと愚図グズ言ってはみても、それはしょせん個人的な欲求不満でしかないから、放って置けば良いのだと。

 

政府はこの8年以上にわたって、選挙に行ったって自分の1票くらいで何が変わるというのか、という無力感・あきらめの気持ちを、若い人たちに植え付けることに成功している。

 

君たちの1票など組織票や高齢者の投票に比べたら、ちっぽけな意思表示に過ぎないのだよ、という悪魔の囁きが絶大に功を奏して、高々30%以下の投票率に抑え込んでいる。

 

選挙なんて年寄りのためにあるものだ、という感覚を植え付けることで、批判票に結び付きやすい若い人たちの投票率そのものを低い状態に閉じ込めている。

 

だからこのままなら、10月には行わざるを得ない次の衆議院議員選挙は、後援会などの組織票を抱えている与党が、またまた小選挙区で大勝し政権は安泰となるのだろう。

 

そしてオリンピックやパラリンピックも終わっているから、コロナの陽性者数が増えたり減ったりを繰り返しながら、何事もなかったように経済は破滅に向かって行くのだろう。

 

今年の冬の感染期にはもの凄い人数の陽性者が出て、来年の今ごろは第10波の感染者増大期などと言いつつ、これが10回目の〝居酒屋規制〟などという対策が出されるだろう。

 

そして公園では相変わらず若い人たちが缶入りのアルコールを飲み、じわじわと自分の就職先やアルバイト先などもなくなり、缶入りのアルコールを買うお金も徐々に無くなる。

 

そうなれば、もう路上飲みなどというような状態も減って、マスコミからも問題視をされなくなり、緩やかに金詰りになった若い人たちがさらに悪い状況に落ちて行く。

 

これって、〝茹でガエル〟そのものだと思う。遠い将来でも近い未来でもなく、1年後にはきっとこんな姿を、私たちは目のあたりにすることになるのだろう。

 

それでも良いというのであれば、それは私たちの選択でしかないけれど。「僕は嫌だ」という〝欅坂46〟の歌詞があった。そう、「僕は嫌だ」と言うべきなのだ、言える時間内に。