今日の午前中に、第5次の入院生活と無事に別れを告げることができた。
今朝は6時ごろに目が覚め、洗顔をして朝の色々な測定などがあって、7時45分頃に朝ご飯のお粥が届いた。これが、今回の病院食として最後のお粥になる。
先週の火曜日に内視鏡手術を受けてから翌日の水曜日夕方まで、いや月曜の夕食時間から考えれば実に46時間の絶食だった。そして水曜日の夕食は、重湯が少しだけ供された。
そこからスタートして木曜日には3分粥になり、金曜日には5分粥、そして土曜日からは全粥と言うかなり硬めの粥になった。この全粥という硬めのお粥が、今朝まで7回続いた。
しかも木曜日の3分粥のときから、副食類は身体に良い工夫が施されていた。とにかく味付けが徹底的に薄いというか、塩分が随分と控えめになっている。
時には「魚の塩焼き」もなかったわけではないが、それは13食の中で2回だけだった。あとは、煮魚もあったし肉じゃが風もあったけれど、どれも味付けは薄味だった。
不思議なもので最初はこんなに薄い味では、と思っていたのが、これに慣れて来ると〝これはこれでも良いか〟という感覚になってくるから、人間の「慣れ」とは面白いものだ。
こうして、今日の朝ご飯を最後に、今回の第5次入院は終わった。今朝は外来の診察前の時間帯に、内視鏡手術の執刀医を務めてくださった医師が回診に来られた。
丁寧にお礼を述べたのだが、子ども世代の年代の医師の方だけれど、本当に頼もしく思える。もしもこれが、私と同世代の医師が担当だったらむしろ怖かっただろうと思う。
そこはやはり『頃合い』というか、それぞれの役割にふさわしい年齢というものがあるのだろう。大横綱と言われる人だって、30代の半ばにもなれば現役引退の話が出てくる。
世間で言えば〝これから経験も積んで〟という年齢でも、それが〝退け時〟と言う職業もある。だから、医学の分野でも年齢によって色々な役割がある、ということだろう。
だから医師という職業も、年齢と経験を積み上げて診断力を上げてゆく診療科の医師もあれば、外科医などは、老眼鏡が必要になれば厳しいものがある、と聞いたこともある。
今朝、退院の準備を終え洗濯物などが入った荷物を持って、退院手続きに向かおうとしたら、偶然に私の主治医とエレベーターを乗り合わせてしまい、慌ててお礼を述べた。
こうして、午前10時ごろに退院手続きを終えバスで帰宅したのだが、昨日に看護師さんから、今日の昼ご飯から〝お粥という制約は全面解除〟と言われていた。
なので帰宅前に病院内のコンビニで、サンドイッチを買い込んで帰宅した。昨日も書いたけれど、先週の月曜の朝にトーストを食べてから、パンをいっさい口にしていなかった。
だから何が何でも、パンを欲していた。それでハムサンドと卵サンドを買って、今日、家で最初に食べた昼ご飯は、ついにパン食にありついた。
不思議なもので、毎日それがルーティーンになっていると、トーストを食べていても何とも思わない。それが毎朝、お粥と和風の副食が目の前にあると、パンが恋しくなる。
これほどの粉食人間だったとは思わなかったが、やはり京都の子の習慣が身体に染み着いているみたいだ。