午後4時過ぎに、雷鳴とともに光射す〝晴れた空〟から大粒の雨が落ちてきた。それこそ〝叩きつけるような〟という形容がぴったりくる、もの凄い雨だった。
開けたままにしていた窓からは、風とともに雨の飛沫が飛び込んでくる有り様だった。それがものの10分か15分で終わると、ヒンヤリとした風が室内に流れ込んできた。
雨が降り出す前は、梅雨らしく蒸しムシとした空気に覆われていたが、雨が過ぎ去ると一時的に空気まで軽くなったように感じられた。
京都は5月の葵祭に続いて、来週の祇園祭も山鉾巡行が中止になり、10月の時代祭もメインとなるパレード部分が中止と決まっている。三大祭は2年続けて〝中止〟となった。
8月16日の「五山の送り火」は、それ自体が「精霊送り」という宗教行事だから、〝大文字〟などは、昨年と同様に点火する火床を絞り込み、縮小した形で実施されるそうだ。
(このように、一緒に大文字を見上げたこともあった)
ただし祇園祭でも、山鉾を釘などは一切使わずに、縄だけで組み上げる「山鉾立て」は、技術の承継という観点から、今年は昨日から組み立てが開始されている。
(数年前に通りかかった時の「鉾立て」の様子)
これも、見物はなるべく控えてほしい、という要請が京都市や各山鉾町から出されているので、見物と言っても通りすがりの〝ちょっと見〟だけということになりそうだ。
それもこれもコロナ禍のせいだけど、一方で、今日のネットニュースでは、日本に到着して準備を開始している各国の報道陣が、早くもルールを無視していると報じられている。
〝決められた場所だけで食事をしなさい〟とか、〝勝手に買い食いをしてはいけません〟などという生活ルールは、〝大の大人だから〟真面目に守る気などないようだ。
事前説明では〝ずっと監視が付いて回る〟などと、できそうもないことを言っていたけれど、もうすでにグズグズになっているらしい。つまりすべてがユルユルのダラダラなのだ。
誰もが、まともにコロナ対応と取り組む気などない。日本政府も組織委員会も、そして海外から来る報道陣や関係者も、そんな気がないとことだけは、きわめてはっきりしている。
開会式の2週間前の状況でこれだから、直前になれば、ルールブックやマニュアルなど全く何の意味も持たないだろう。むしろ、〝守って下さい〟と大声で言えるのだろうか。
こうしてワーワーと大騒ぎのままで1カ月が過ぎ、8月のお盆が終わる頃には、東京の陽性者数など、まともに発表などできないような惨憺たる状態になってしまうのだろうか。
私は一応、ファイザー社製ワクチンを2回接種が終わっているから、少しだけ安心感はあるけれど、何と言っても、明日からは第5次の入院になるという基礎疾患持ちである。
この時期に、こちらが好んで首都圏に出向く気は全くないけれど、今年は千葉都民の娘の家族が、とんぼ返りに近いけれど、来られるようならお盆のころに来たいと言っている。
すでに1年半以上会っていないから、孫たちの顔も見たいし、何よりもやはり生の声を聞きたい。これが自然な人間の気持ちだと思う。
こんな当たり前のことでも、気を使ってしまうくらい、馬鹿げた〝オリンピック狂騒曲〟が幕を開ける。ホントに、首都圏が悲惨な状態になるのが、目に見えるような気がする。
挙げ句に西村大臣は、〝やくざ屋さん〟よりも酷い脅迫の言葉を吐いている。それも、酒卸業に対しては、文書で〝お願い〟という名の脅迫文まですでに出回っている。
こんなものが出ている以上は、総理も副総理・財務大臣も、「そら知らなんだ」が通るはずはない。もし西村大臣が勝手にやっていたら、それこそ大臣同士の殴り合いになる。
やれやれ、もはや末期症状になっている。内閣がこぞって国民を脅迫しに掛かっている。それも〝畳にドスを突き立てて〟でも、言うことを聞かそうとしている。
これでは無法国家である。国民を問答無用で射殺する行為と、今、菅政権が行いつつあることは、本質において何が異なっているというのか。まったく同じことではないか。
こんなことばかり書いていると、突然に特高警察が踏み込んできて、問答無用で引っ立てられて行き、戦前のように裁判などなしで「拷問」を行うつもりだろうか。
大政翼賛政治に特高警察、その次に待っているのは憲法すら変えない国民皆兵制度と、赤紙による召集だろう。それを待ち望んでいるアベノソウリが、第3次政権を作るのだろう。