夜中には凄い雨音をさせて、激しい雨が降っていた。おかげで、午前2時から3時ごろにかけて、京都市内の至る所で土砂災害に係る避難指示などが発令された。
だからその避難指示を一斉に通知する〝災害速報〟の大きな通知音が、それこそ5分おきくらいに枕元のスマホから鳴り響くので、夜中に何度も目が覚めてしまった。
もちろん、該当する地域に暮らしているのであれば、その通知自体はありがたいことだと思う。避難するタイミングが遅れたら、命取りになり兼ねないから。
事実、今日の京都新聞オンライン版では、我が家から遠くない地域の幹線道路で下水溝から泥が噴出し、一面に土砂が溜まった状態だという記事も掲載されていた。
こうした土砂の流出が見られる地域では、一つ間違えば崖崩れによる土砂災害が発生していてもおかしくない状態だったということだ。
逆に、我が家は山裾ではないが鴨川の堤防から100mも離れていない。万が一、鴨川堤防が決壊すれば、我が家の周囲は最大で3mほどの浸水が起きても不思議ではない。
京都市が発行している「ハザードマップ」では、想定浸水3mの範囲に色分けされているから。しかも鴨川に架かる橋の橋桁に、流木などが引っ掛かればそれがダムのようになる。
この場所に住んで60年ほどになるが、これほど毎年のように頻繁に大雨の心配をしたことはかつてなかった。ここ数年か10年ほどの間に、急激にそうした状況が増えている。
2年前には町内会の回り持ちの役員で、〝自主防災〟の担当が割り振られたことがあった。その時に、小学校区全体の〝自主防災会議〟に出席したことがあった。
我が家の町内会は小学校から最も遠い場所になり、隣接する小学校の方が近い。それで、もし避難するとなった場合は、隣接小学校になることを会議の場であえて確認した。
こんなこと一つでも、実際に住民が取る行動とお役所的な〝理路整然〟とは異なっている。だから会議の席で消防署の方に、隣接した学校に行くことの是非を確認することにした。
当たり前の話だが、一刻をあらそう場合でしかも夜間だとなれば、どうすることがより安全であるかは、火を見るよりも明らかだ。
それでも防災訓練では、町内単位で町内の定められた場所に集まって、集団行動で小学校に向かう。そして校庭の決められた位置に町内ごとに整列し、点呼まで受けるという。
あまりの〝あほらしさ〟に、黙っていればいいのに、隣接の小学校に行く場合について説明を求め、消防署が臨機応変で対応できるようにしてほしいと、要望まで言ってしまった。
つまり、災害時には学区単位で行動することが原則になっていれば、開設された避難所に行った場合も、隣接学区民である私たちは、員数外として厄介者扱いされ兼ねないから。
行政的感覚では小学校単位が正しいのかもしれないが、なぜ円を描いて最も近い〝指定避難場所〟を利用する、といった現実的な防災訓練ができないのだろう。
地域の自主防災会議に初めて出席した際に、こうした疑問を持ったままで終わってしまった。そもそも小学校区の設定も、こうした住民本位の発想で行うべきだと思うのだが。
何十年も昔に〝村〟だった時代の村境の地域割りが、何の疑問もなく引き継がれ、現在もそのまま受け継がれていることの方がおかしいと思う。
まあ小学校は設立に際してのあれこれがあるから、言ってみても始まらないかも知れないが、町内会というシステムは、第二次世界大戦前に設定された総動員体制の産物である。
しかも今では、町内会という行政の末端の機能の担い手が、後期高齢者の寄り合いになっている。子ども会活動などは、もう絶えて久しく無くなっている。
人口動態で言えば、<出生-死亡>という自然の人口減少も、<転入-転出>という社会的な減少も、もはや我が家の周囲では止められない状況だ。空き家も徐々に増えている。
表通りに何棟かワンルームマンションがあるおかげで、形の上ではどうにかなっているけれど、ワンルームマンションの住民は、町内会活動に参加するわけではない。
というような状況で、昨夜から今朝にかけて、我が家の周囲も豪雨に見舞われていた。熱海市の東部の伊豆山地区では、大規模な土砂災害が発生しているようだ。
どうか人命に関わる被害が少なくなりますように。これからしばらくは、梅雨末期の豪雨が心配される。オリンピックなどと、〝呑気なこと〟を言っている場合かと思う。
もう中止はできないのだとしたら、無観客でさっさと試合だけを行って、終われば選手も関係者もトットとそれぞれの国へ帰って行ってほしい。私たちとは無関係のままで。