西陣を散歩するのはこういうことだ | がいちのぶろぐ

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今日の午前中は、あまり考えることなく当てもない散歩に出掛けた。まずは、とりあえずバスに乗り「北大路堀川」まで行く。

 

北大路堀川を少し南へ行ったところに「紫式部の墓」がある。その横には、なぜか「小野篁」の墓も並んでいる。この場所は、かつて60年前に私が通っていた中学とも近い。

 

 

 

 

だからお墓があることはもちろん知っているし、それ以上に大昔に来たこともある。まあ、ここを出発点にして、後はどこへ向かって歩いて行こうか、という話である。

 

堀川通りを少し南へ行き、堀川鞍馬口から鞍馬口通りを西へ行って、大宮通を南に下がる。しばらく行ってまた西へ曲がり100mほど行くと、「櫟谷七野神社」の鳥居がある。

 

 

 

この神社は今では周囲を住宅に囲まれ、町中のどこにでもありそうな狭い神社である。ただこの神社があった場所は、元は『賀茂斎院』だった場所という歴史がある。

 

 

 

『賀茂斎院』とは、賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)で神様に仕える斎王が、精進潔斎して住む場所ということになる。

 

 

 

斎王とは伊勢神宮にならって、9世紀初めの嵯峨天皇の有智子内親王を始まりとし、13世紀初めの後鳥羽天皇の礼子内親王まで、35代約400年にわたって続いたとされている。

 

この「櫟谷七野神社」は、なぜか本殿の周りだけが周囲から3mほど高くなっている。かつてこの場所は、円墳の古墳だったのではないかと思わせるように周囲から浮いていた。

 

 

 

 

さて、ここからどこへ行こうかと考えることになった。この辺りは、いわば織物の町『西陣』地域の北の端ということもできる。とにかく神社の前の道をさらに西へ。

 

智恵光院通を南へ歩いて行くと、四つ辻に地図が張り付けてあり、その辻を西へ右手方向に行けば「称念寺」というお寺があるらしい。しかも〝(猫寺)〟と書かれている。

 

 

 

これはとにかく行かねばと思って100mほど歩くと、小さなお寺に出会う。門の前の駒札に由れば、德川家康と縁続きの人にゆかりのお寺らしい。関係は、良くわからん(笑)

 

 

中に入ってみたものの猫関係の〝何がし〟は全く見当たらず、本堂の前にある松が20mあまりも横に伸びていて、これがなかなか見事だった。

 

 

 

そこから浄福寺通を南にとって、西陣のど真ん中と言える地域を歩く。途中、気になる町家も見掛けるけれど入るわけにもいかず、そうこうする内に「織成館」という、西陣織の資料館の前まで来た。

 

 

 

 

 

この辺りには何度も来ているから、それではと、近くの〝西陣聖天〟として知られる雨宝院に立ち寄る。ここは、嵯峨天皇の病気平癒を、空海が祈願したといういわれがある。

 

 

 

とにかく、何もかもが歴史を抱えているのだ。さらにここは〝時雨の松〟や〝歓喜桜〟、〝染殿井〟などと、狭い境内に〝ごった煮〟のごとく名物が詰め込まれている。

 

 

 

 

そこを出て、すぐお隣りに塀を接している本隆寺へ。こちらは現在、重要文化財の本堂が大修理の真っ最中。このお寺も〝夜泣き止めの松〟やら、桜・銀杏の巨木など、境内には由緒が固まっている。

 

 

 

 

 

 

本隆寺からは五辻通を東へ。本隆寺の南向かいには鳥料理で有名な「鳥岩楼」がある、といって、今日は食べに入るわけではなく前を東へと適当に歩く。

 

 

 

散歩の出発点だった広い堀川通に再び出て来る。その直前に、「山名宗全邸宅跡」の駒札が目に止まる。あの〝応仁の乱〟で西軍の大将であり、だから『西陣』という呼称になった。

 

 

 

 

ここから堀川通を少し南に行けば今出川通と出会う。角には和菓子の鶴屋吉信の本店が店を構える。今出川通を少し東に向かえば白峰神宮がある。

 

 

 

明治天皇が、讃岐に配流されて亡くなった崇徳天皇の御霊を祀ったのが始まり、という神社だが、その場所が元々は蹴鞠の宗家・飛鳥井家の故地になる。

 

 

 

 

だから境内に、末社として〝精大明神〟という蹴鞠道の神様を今も祀っている。これが効いた。崇徳天皇よりも、蹴鞠=サッカーということで、こちらが受けてしまった。

 

 

 

 

まずは、この小さな祠に各種球技のボールが納められている。念が入ったことに、右手には「蹴鞠の碑」などもできている。今は、女子サッカー・なでしこジャパンのポスターも。

 

 

 

 

そして、樹齢800年というオガタマノキも。最後は枕草子にも出て来る「飛鳥井」という井戸まで。

 

 

 

 

 

1時間半ほどの散歩で、メタボ爺さんは汗びっしょりだったけれど、それ以上に、行く先々で〝これでもか状態〟に〝いわれ〟が塊りになって押し寄せて、ゲップが出そうだった。

 

『西陣』地域を歩くとは、こういうことだと思う。歴史が塊りになって、そこに蹲っている。嵯峨天皇に後鳥羽天皇、空海に紫式部、山名宗全に崇徳天皇。そういう町なのだ。