不要不急だけど龍安寺に | がいちのぶろぐ

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梅雨の中休みに不要不急の外出をするという、昨日に引き続いての〝不良老人〟第2弾は龍安寺行きになった。さすがに金閣寺はちょっと、と思えたから。

 

 

 

さて我が家から龍安寺に行くには、バス停一つ分離れた「河原町今出川」バス停であれば、金閣寺道・立命館大学を経由して、龍安寺に行くバスが走っている。

 

これが15分おきにあるので、当然それに乗って行くことになる。河原町今出川から龍安寺前バス停までは、およそ30分で着く。ということで、今朝も10時には家を出た。

 

 

 

龍安寺前には1045分ごろに到着。ホントにお寺の真ん前にバス停がある。山門の脇にある拝観受付で、500円也をお納めして山門をくぐる。何十年ぶりだろうか。

 

 

山門をくぐれば、すぐ左手に鏡容池がある。龍安寺は元々、徳大寺家の別荘だった。鏡容池とその周辺の庭園は、この別荘だった頃に作られたものらしい。

 

 

 

徳大寺家は、有名な藤原道長の叔父にあたる藤原公季が先祖という藤原一族で、鳥羽天皇の璋子皇后の兄弟が、徳大寺家のはじめという由緒正しい家柄。

 

その徳大寺家の別荘を、室町時代に管領・細川勝元が譲り受けて禅寺にしたという。しかし応仁の乱のときに焼失し、1499年に細川政元が再建したということだ。

 

 

 

この龍安寺が有名になり、世界文化遺産に登録されたのも、方丈の南庭に「石庭」があるから。わずか25×10mの庭に、15個の石組が配され、白砂が敷き詰められている。

 

 

 

室町時代末期に、禅僧によって作庭されたのではないかと言われているが、未だ不詳ということになっている。

 

庭の背後の土塀は、油土塀という土に菜種油を練り込んだ材料で作られているので、年月とともに風合いが変化していると、パンフレットに書かれている。

 

 

 

また、東から西へ土塀の高さが少しずつ低くなっているため、遠近法の原理で庭を広く見せている、ということも言われている。

 

とまあ、〝ものの本〟にはいろいろなことが書かれているわけだが、早い話がこの枯山水の庭こそが「禅の心」を映し出している、ということで有名になった。

 

 

 

ガサツな私には今ひとつピンとは来ないけれど、きっとそうなんだろう。今日も方丈の縁側には、私のような人間ばかりではなく、きちんと庭を見つめている方も少なくなかった。

 

と言っても、せいぜい10数人といったところ。やはり〝密〟とは縁遠い拝観客の数だ。方丈の前に座ること10数分で、〝悟り〟などとは縁がない衆生の私は立ち上がる。

 

 

 

庭を見ている間は背後になっていたが、方丈の襖絵も見事だった。また方丈を回った裏にある蹲踞(つくばい)は、水戸光圀公が寄進したとされる有名なもの。

 

 

 

これも禅の思想の一環とされている、「吾唯足知(われ、ただたるをしる)」と刻まれている蹲踞。いやまあ、これ自身も中々の歴史を持っているのだけれど。

 

でもまあ言ってしまえば、東大王の井沢拓司さんや〝謎解き〟の松丸亮五さんぽく、これに何かを加えて四文字熟語にしなさい、といった感じの〝ギャグ〟風とも言える。

 

 

 

さて枯山水の石庭を後にして、今度は池泉回遊式になった、鏡容池を囲む庭を巡る。池を囲むように散策の道が整備されているが、私の記憶にこうした散策の道はない。

 

 

半世紀余り前に来た頃には、こうして池の周りを巡る回遊式の庭の整備は、されていなかったのだろうか。記憶は、もう霞のかなたになってしまっている。

 

 

 

さて池の周りをグルッと一巡りし、山門を抜けて「きぬかけの道」と名付けられているバス道に出る。帰り道は、同じバス路線で反対に戻れば、我が家の近くまで戻れる。

 

 

 

また、山門の前から真っ直ぐ南に向かえば、嵐電北野線「龍安寺」駅を越えた先には龍安寺の本山になる妙心寺がある。バス道を西に向かえば、御室仁和寺がすぐ近くにある。

 

帰路の金閣寺方面に向かう「龍安寺前」バス停の向かい側には、すでに立命館大学の衣笠キャンパスの建物が見えている。

 

家に戻り着いたのは、12時半を少し過ぎたころだった。ところで龍安寺は、昨日の嵐山とは異なり、お寺という〝まとまり〟である。だけど拝観客は、せいぜい20人余りだった。

 

まだ暑い季節でもなく天気も良い週末に、世界遺産で有名な観光スポットである龍安寺といえども、やはり観光客は少ない。それくらい、皆さんが外出を自粛されているのだろう。

 

 

 

みんながこれほど努力して人流を減らし、コロナ禍に打ち勝とうとしている姿を〝あざ笑う〟かのように、東京オリンピックへは選手以外に関係者が数万人がドッと来るという。

 

その人たちは飲酒も自由なんでしょうね、きっと。ホテルから出掛けるのでしょうね、きっと。それを見て、〝何だかなあ〟と思いながらこの国に住む人は過ごすのでしょうね。

 

やっぱりそれって、何かが間違っていると思う。こうして大観光地がガラガラになるほど、自粛している人たちの心をわからない為政者ってダメだと思う、きっと。