今日は午前中、補聴器を販売しているお店に行っていた。以前このブログで、抗がん剤の点滴で入院している時に、ついでに耳鼻科の診察を受けたことを書いた。
この間、急激に耳の状態が悪くなっていて、主治医の方に抗がん剤の副作用ではないかと相談したところ、さすがに〝そうではない〟と言いつつ、耳鼻科の予約をしてくださった。
そこで耳鼻科で〝難聴〟の精密な検査と診察を受けたのだが、耳の器官には問題がないということで、単に〝加齢〟による聴力低下だろうという結論になった。
その結果、診察をした耳鼻科の医師からは、〝もし生活に不自由があれば、補聴器を考えられたらいかがですか〟というアドバイスを受けた。
〝それもそうだ〟と納得はしたのだが、私のご近所の方で補聴器を着けておられる方からは、片耳が数十万円もしたという話を聞いていたので、やたらと高額なイメージがあった。
それでいろいろとネット検索をしてみたら、集音器というジャンルであれば、安ければ1万円未満からあり、少しまともそうなものでも3万円程度とそんなに高くはなかった。
そうしたところ、京都市が発行している「市民しんぶん」の5月号に、補聴器販売をしているお店の広告が掲載されていた。そこで連休も明けたので、そのお店を訪問してみた。
結果として、今日、店で相談に乗ってもらうまでに、およそ40分は待たされるという状況にはなったけれど、精密検査の結果を持って行ったので話はスムーズだった。
私の考えとして、今、補聴器に数十万円も支払うのは、残りの寿命と考えた場合〝コスパが悪い〟と思う。また現状でも、生活に多少の不便はあるが、困難というほどでもない。
だから耳の後ろに本体を引っ掛ける形式ではなく、あまり目立たない耳穴に装着するタイプで、なるべく安価なものがあれば、という希望を述べてみた。
そうすると私の希望に合った耳穴タイプで、5万円程度で買える機種があったので、とりあえず1週間ほどお借りして、それを装着して様子を見ることになった。
これはとても良く聞こえるが、このままこれを購入したら良いのか、それとも多少は不自由だけどもう少し我慢をして、先延ばしをした方が良いのかが悩ましいところだ。
1週間はお借りすることになったので、しばらく必要に応じて装着してみて、補聴器がある暮らしをするのが良いかどうか、試してみようと思う。
ということで補聴器販売の店を出て、近くにある大型書店に立ち寄って、少し興味を持った新書本を何冊か探してみたが、残念ながらすべて品切れだった。
その代り、希望の新書を探している間に、別の新書に興味を引かれることになった。「承久の乱 日本史のターニングポイント」(本郷和人、文春新書1199、2019)という。
そもそも私の日本史の知識の乏しさは、昨年京都検定を受ける準備勉強をしていた時に、嫌というほど痛感していた。
この「承久の乱」が起こったのは1221年のことだった。だから今年は、乱後800年に当たっている。
そこで京都文化博物館では、今月23日までの予定で「よみがえる承久の乱」展を開催していたのだが、4月の緊急事態宣言発出を受けて、文化博物館が休館になってしまった。
そして今回、今月末まで緊急事態の延長である。結果的に、この展覧会は休館状態のまま終わることになった。文化博物館のホームページに、お詫びの告知文が掲載されていた。
文面は「特別展『よみがえる承久の乱―後鳥羽上皇vs鎌倉北条氏―』は閉幕とさせていただきます」となっていた。〝あらら、見逃してしまったよ〟という結果になった。
そう思っていたところだったから、今日偶然に書店で見つけた「承久の乱」という新書は、何が何でも買って帰ろうという気持ちになった。
これが、読み始めたら止まらない。一気読みしてしまいそうになるくらい面白い本だった。
「はじめに」の部分で、「ヤマト王朝以来、朝廷を中心として展開してきた日本の政治を、この乱以後、明治維新にいたるまで、実に六百五十年にわたって、武士が司ることになった」と書かれていた。
そうなのだ。『天下分け目の戦い』は、源平の合戦でも、応仁の乱でも、関ヶ原の合戦でもなかった。それらは、武士同士が支配権を賭けて戦っていたに過ぎない。
一方で承久の乱は、天皇とそれまでは天皇の部下だった武士とが、実権の奪い合いを賭けて戦ったのだ。その結果、勝利した武士階級が明治維新まで実質的な権力を握った。
なるほどなあ。私には、後鳥羽上皇の位置付けも、北条氏の有り方もよくわからないままだった。それが上に書いた短い文章だけで、ストンと腹落ちした。そうだったのか、と。
この本郷先生の「承久の乱」という本は、夢中になって読んでしまいそうだ。