第4次退院その①昨日は退院だったけれど | がいちのぶろぐ

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結局、昨日の夕方に退院ができることになり、朝からこの第4次の入院では最後となる点滴を受けた。昨日の点滴は午前10時前に開始され、そこからはむしろ慌ただしかった。

 

 

 

医師の回診があり、薬剤師の方からは退院後に飲む薬などについて、丁寧な打合せがあった。その間に何度も、看護師さんが体調測定や何やかやのため病室にやって来た。

 

そして午後になって、私が昼食を食べ終わる頃になると、ようやく病室は少し落ち着きを取り戻していた。

 

思い返せば、年末の内視鏡検査の結果を受けて〝初期の食道がん〟という診断が下され、1月のまだ正月気分も抜けきらないころに急きょ入院することが決まった。

 

そして112日には入院することになったが、まずはコロナ・ウィルスに対するPCR検査の結果待ちとなり、初日の12日が丸一日が空転した。

 

13日にはPCR検査の結果が出て、もちろん陰性で入院OKとなった。翌114日から抗がん剤の点滴が開始になり、同時に放射線治療も開始された。

 

こうして1月から4月まで毎月7日間ほど、抗がん剤投与のために入退院を繰り返した。そして昨日、抗がん剤投与を目的とした入院がこれで終了となった。放射線治療も、1月から2月にかけて実施が終わっていた。

 

私は早期発見できた〝食道がん〟のケースだったので、手術という外科的治療を行わず、抗がん剤と放射線治療、さらに免疫療法を組み合わせた治療を行うという、〝実験的治療の被験者〟になった。

 

 

 

だからここまで、手術によって引き起こされる日常生活の変化はなく、有難いことにこれまでと変わらない日常生活が送れるという、〝新たな治療法〟と取り組んでいる。

 

もちろん、この治療方法が誰にでも成功するものなのか、時には失敗するのかということで言えば、私が失敗例になる可能性だってないわけではない。だからこその実験なのだ。

 

ということで、昨日、最後の点滴が終了したのは午後3時半近くになっていた。午前中から、様々なことの合い間を縫って、退院のために少しは荷物の整理も始めてはいた。

 

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しかし、点滴のホースをぶら下げたままではなかなか動きづらい。3時半ごろから荷物をまとめ始め、病棟担当の看護師さんたちにお礼を言って、4時前にやっと退院手続きに向かえた。

 

こうして昨日は、夕方になってようやく我が家に戻ってきた。それから、入院時に使っていた諸々のものを元の位置に戻し、夕飯時になってどうにかホッコリすることができた。

 

これからは外来治療に切り替わり、2週間ごとに血液検査などを受けながら、免疫療法の点滴を続けて行くことになる。さらに、2、3カ月に一度は内視鏡などの検査もある。

 

今まで毎日〝飲酒・喫煙〟が当たり前、という暮らし方で過ごしてきた70数年の人生だった。もちろん仕事に追いまくられて、十二指腸潰瘍になったこともあったが。

 

それが昨年末に禁煙を申し渡された。以来、正月に少しの飲酒はしたものの、禁酒もすでに3カ月以上になった。いつの間にか、それをまったく不思議だと思わなくなっている。

 

ただ抗がん剤の影響によって、この3カ月間で体重が8kgほども減少してしまった。またほとんど歩かない期間が長く続いているから、その分、体力も随分と落ちているだろう。

 

少し歩いただけで息切れがしたり、軽く貧血気味になって目眩がするということも体験した。だから一人で外出して、うっかり階段で転倒でもすれば〝大事〟になり兼ねない。

 

ということもあって、これからあらためて、世間様と徐々に馴染みになって行く訓練期間というか、〝慣らし運転〟が必要になってくるだろう。

 

ということで昨日は、第4次入院からの退院初日だったけれど、ブログを書くという気力は一切残っていなかった。だから今日ここに、ひたすらその言い訳を書き留めておきたい。

 

明日からは、あらためて世間様と馴染みになる訓練期間として、ブログを書いて行こうと思う。