城南宮の「枝垂れ梅」は満開だった | がいちのぶろぐ

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1週間ほど前のブログに、〝城南宮の枝垂れ梅を見に行きたい〟という文章を書いた。そして今日、予定通りに城南宮に出掛けてきた。

 

 

 

 城南宮は、京都市の南の外れ近くに位置している。同じ京都市でも、市街地の北部に位置する我が家からみれば、随分と遠くに感じる場所にある。

 

だから今朝は9時半過ぎには家を出た。市バス⇒地下鉄を乗り継いで、地下鉄の最終駅になる「竹田」まで行く。そこから市バスでモノの5分ほどだが、市バスの本数が少ない。

 

竹田駅に着いた時には、ちょうどバスが出た直後だったから、駅前のバス停で20分近くバスを待つことになった。と言っても、もし歩けば結局はバスと同じくらいに着くだろう。

 

ということで、「城南宮東口」バス停に着いたのは10時半過ぎだった。我が家からほぼ1時間かかったことになる。そこで南をふり仰げば、京セラ本社の高層ビルが見えていた。

 

 

 

城南宮の辺りを地図で見てもらうと良くわかると思うが、名神高速道路の京都南インターがすぐ近くにあり、国道1号の高速道路と旧国道に挟まれた場所になる。

 

 

 

だから、顔を上げれば高いところを自動車が行き交うような場所であり、周りの建物も京セラ本社をはじめ、モノづくり企業の本社兼工場などが立ち並んでいる場所でもある。

 

そんな場所にあるのだが、城南宮の東鳥居から神社に入ると、かなり人出が多いことが見て取れる。私は今回偶然に「城南宮の枝垂れ梅」を知ったのだが、世間ではすでに有名だったみたい。

 

 

 

 

〝まずは本殿にお参りして〟と思うのだが、本殿の前はこれがなぜか〝空いている〟。それで、神苑入口の拝観券売り場は3曲がりしているほどの長蛇の列。

 

参拝客を見ていると、本殿には参らず鳥居をくぐったらそのまま神苑入口に並ぶ人が多い。なぜだ!ここは少なくとも神社だろうに。祭神だって、国土守護神の「国常立尊」や、大国主命、神功皇后が祀られているのに。

 

そもそも平安京に都が定められた時に、都の南の守護神としてこの神社が創建されたという由来を持っている。

 

とはいえ、早い話が参拝客(?)のお目当ては、神苑に植えられている多くの枝垂れ梅と、その周囲にこちらも何十種類も植えられている椿の花なのだ。

 

 

 

神苑に入ればすぐに、参拝客(?)が写真を撮るために立ち止るので、順路の至る所で団子状態になって渋滞を起こしている。

 

しかもパンフレットにはご丁寧に、何カ所も写真撮影の好ポイント、いわゆる〝映えスポット〟が示されている。そこへ行くたびに、渋滞に巻き込まれてしまう。密です、密っ!

 

 

 

 

そんなことで〝枝垂れ梅ゾーン〟になっている「春の山」を通り抜け、「平安の庭」へと至る。この平安の庭の池から流れ出る小川の周囲では、春と秋に「曲水の宴」が行われる。

 

 

 

小川の脇の園庭に座った歌人は、小川を流れ下るお酒が目の前を通り過ぎる前に、和歌を詠んで短冊にしたためれば、目の前を流れ下るお酒を引き寄せて飲むことができる。

 

 

 

まあ、平安時代は優雅な遊びを行っていたわけだ。さしずめ今ならカラオケボックスで、流れてきたイントロを聞いて、サビの部分を熱唱すればテーブルにあるお酒が飲める、というようなことかも。違うかっ!

 

 

 

この後は、神苑といっても南側に作られた桃山・室町の庭を通って、最後は記念品を売っている売店の前に出ることになる。

 

国道1号と名神高速に囲まれた場所にあるお宮さんだけに、自動車ごと交通安全のお祓いも受けることができるし、自動車で訪れる人も多い。

 

私は城南宮の西にある旧国道1号側に出て、道路を渡って「おせき餅」のお店へ。江戸時代、大坂方面からやってきた旅人向けに、京の入口に当たる〝鳥羽〟で茶屋を営んでいた。

 

 

 

その茶屋の看板娘が〝おせきさん〟という娘さんだったらしい。粒餡が乗った素朴な餅菓子である。旅人はここで一服しながら、さあいよいよ京へ着いたと感じたことだろう。

 

 

 

家に帰ってから〝おせき餅〟をいただいたけれど、実に素朴な味だった。それが良いのだと思う。有名な寺社仏閣の門前茶屋であれば、無理に凝った菓子などより、素朴なものの方が長く愛されるような気がする。

 

 

 

おせき餅を出て、さらに西側にある公園に行った。「鳥羽離宮公園」と命名されている。11世紀末、ここに白河上皇、次いで鳥羽上皇が数々の殿舎を建てて院政を敷いた。

 

 

 

 

いわば、その当時の政治の中心地となった。とは言え、今は何にもない公園である。その北の端に少し盛り上がった塚がある。この塚は発掘調査から「南殿」にあった築山「秋の山」とされている。

 

しかし今では、その塚の上には「戊辰戦争」の顕彰碑が建っている。この場所の近くにある「小枝橋」で京へ向かう幕府軍と、阻止しようとする薩摩軍が押し問答になり、ついに薩摩軍が砲撃をおこなったことから戊辰戦争が開始された。

 

 

 

明治時代には、800年の時を経てもう跡形もない「鳥羽離宮」は忘れ去られても、つい最近、自分たちが勝った戦争の始まった場所には、きっちりとその記念碑を建てる。

 

 

 

それはまあそうだよなあ。誰だってそうするよねえ。ということで、鳥羽離宮だったことを示すたった一つの遺物の築山には、戊辰戦争の記念碑が建っているというお話し。

 

あとは〝おせき餅〟の店の前にある「城南宮」バス停から、1時間に1本しかない貴重な市バスに乗ってJR京都駅まで戻り、お昼は駅ビルのお蕎麦屋さんでざる蕎麦を食べた。

 

 

 

家にたどり着いたら、もう2時半を回っていた。歩いた歩数も1万歩に近く、とにかくこんなに歩くのは久し振りだから、家に着いてしばらくはグッタリしたままだった。